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2009年7月15日 (水)

徳川家康の自署名

『なかった~真実の歴史学』第6号の中に,
面白い話題を見つけた。
上記のものだ。

歴史上の人物の中で,
徳川家康を知らない人はまずいないだろう。
1603年に江戸幕府を開いた有名人だ。

ところで,彼は書類に何と自署名(サイン)したか
ご存知だろうか。

実は,渡辺世祐という人の「徳川氏の姓氏に就いて」
(『史学雑誌』30篇11号,1919年)という研究によると,
「「藤原家康」が初期に少数あり,
そのあとはすべて「源家康」であることが知られている」
とのことだ。

私たちは彼のことを「徳川家康」と呼んで
不思議に思わないが,
彼の方はどんな意識で「徳川家康」を
名乗っていたのだろうか?
名乗りと自署名は違っていいのか?
そもそも「徳川」というのは苗字なのか?
いろんな疑問が次々と浮かんでくる。

どなたかかわかりやすい説明を
していただければと思う。

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

徳川家康。歴史上(なぜか)大っ嫌いな奴です(笑)

源氏は本姓ですね。そして名字(苗字)が徳川。

徳川家康はもともと松平氏ですが、今川義元に臣従し、義元より
「元康」という名をもらっていたようです。
その後、織田氏に臣従し、「家康」と改名。
そして朝廷より三河守を受領する際、「松平氏は新田氏の系統、
得川氏の末裔である」と称して「徳川氏」を名乗ることを朝廷
より認められたようです。


本姓というと源平藤橘が有名ですが、この時代でもっとも有名で大物
なのは「豊臣」ではないでしょうか。
木下藤吉郎が出世とともに羽柴秀吉になり、関白就任とともに藤原氏
の猶子となり、ついで豊臣氏を朝廷より下賜された。

徳川家康の場合は、「俺のご先祖様が朝廷から源氏を下賜された」と
いう立場でしょうが。
(松平氏が新田氏の末裔だというのは信憑性に乏しいようですが)

本姓はちょっとややこしいですが、ようするに足利氏なら本姓が源氏で
名字が足利。北条氏なら本姓が平氏で名字が北条。

ちなみに私は本姓が「藤原」で、名字が佐藤、中国語読みでツォータン…
(源家康なみのアヤシさ・笑)

 僕等が今普通言っている姓は、氏の名ではなく、家の名。
 家康の家である、三河松平郷の松平氏は、以前は加茂氏を名乗っていた。つまり氏は加茂。京都の上賀茂社・下賀茂社を祭った、京都盆地をもっとも早く開拓した氏族。だから松平氏の家紋は加茂一族を示す葵の紋。このため本来の松平氏は、加茂(氏の名)の松平(家の名)のなにがし(これが個人の名。幼名と成人して名乗るいみながある。これに家伝来の役職をつけて名乗ることも多い。)と名乗る。しかし松平氏が次第に勢力を広げて松平郷から三河全体に力を及ぼすにつれ、藤原氏を名乗るように。
 これは家康の代に三河一国を手に入れて、信長と同盟を組んだときに、朝廷から三河守の称号をもらおうとしたときに、加茂氏では国司の格ではないと言われたため。しかしそのご天下を手に入れて行く過程で、豊臣の関白に対抗するために征夷大将軍職を手に入れる必要が生じ、これは源氏にしか与えられない慣例だからと言われ、そこで源の氏名を名乗ったわけ。清和源氏の新田流の中に上野の国の得川郷を家の名にした一族があり、これが途中で徳川と家の名を改めた。その一族が南北朝の戦乱の中で得川郷を追われ、諸国流浪の中で松平郷にたどり着き、松平氏の娘婿となったという系図をこのとき伝承に基づいて作り上げた。
 以後藤原(氏の名)の松平(家の名)の竹千代(幼名)・家康(成人してからのいみな)は、源の徳川の家康と名乗ったわけです。
 このあたり僕の本の近代編の1に書いておきましたので読んでみてください。次のサイトでは直接読めます。
http://www4.plala.or.jp/kawa-k/kyoukasyo/3-13.htm

ツォータンさん 川瀬さん
コメントありがとうございます。
だいたいわかりました。
「三段階人名」の時代(昔)と
「二段階人名」の時代(今)の違い
ということですよね。
だから,家康は当時としては
普通の署名をしたということでしょう。
今の我々から見ると奇異に見えても。

遅レスですが。

「三段階人名」というのは少し意味が違います。昔も今も二段階ですが、「徳川」(または松平)は姓、「源」(最初は藤原)が氏です。
ふだんは姓を使っていますが、正式な任命書とか正式な手紙には氏を書きます。
例えば足利義満の明への国書の書名は「日本国王源道義」ですし(道義は出家してからの名)、同じく大内氏の場合は「多々良」を使っています。
戦国大名の斎藤道三なども「藤原利政」と署名しています。
徳川家康は他の方が述べているように、最初藤原氏を称していましたが、それでは将軍になれないので源氏に鞍替えしました。
同じく織田信長も最初は「藤原信長」でしたが、源氏の足利氏を倒すということで「平信長」に鞍替えしました。
逆に言うと、昔は「源平藤橘」などの氏が無いと正式な任命書などは名前が書けませんので、由緒正しい何かの氏にしないといけませんでした。
それを逆手にとって源平藤橘と並ぶ新しい氏「豊臣」を創設したのが豊臣秀吉です。

今日、セミナーの料金を振り込んできました。よろしくお願いします。

あじすきさんへ
コメントありがとうございます。

整理して書くと,

姓・・・徳川 (ふだんの言い方)
氏・・・源 (署名に使う時)「源平籐橘」が有名
名・・・家康

ということでしょうか。

とすると,源頼朝は

姓・・・源
氏・・・源
名・・・頼朝

となって,
「源氏中の源氏」=棟梁
になるというわけですか。
それならわかりますが・・・。

> 今日、セミナーの料金を振り込んできました。
よろしくお願いします。

こちらこそよろしくお願いいたします。
私は部活動の県大会のため,
早くても7日の夜からの参加
(夕食に間に合いたいが)です。

>「源氏中の源氏」=棟梁
>になるというわけですか。
これもちょっと違います。

本当の名前は源頼朝、源尊氏(足利尊氏)、源晴信(武田信玄)、源家康なわけです。苗字というのは通称に過ぎません。

時代劇などで義経の叔父・源行家を「新宮十郎行家」と呼んでますね?源義仲=木曽義仲もそうです。
要するに源や平や藤原で呼んでいたら同姓が多くて何がなんだかわからなくなるので、傍系の人から在地の場所で呼んで区別しているわけです。
公家も同じで、近衛、九条、一条、三条、鷹司、冷泉など、みんな本当は「藤原」です。

あじすきさんへ
コメントありがとうございます。

> 本当の名前は源頼朝、源尊氏(足利尊氏)、
源晴信(武田信玄)、源家康なわけです。
苗字というのは通称に過ぎません。

本当の名前・・・源頼朝
通称・・・同じ


本当の名前・・・源尊氏
通称・・・足利尊氏

本当の名前・・・源晴信
通称・・・武田信玄

本当の名前・・・源家康
通称・・・徳川家康

現在教科書では,個人を識別しやすくするために,
歴史人物の名前を,
〈本当の名前〉ではなく〈通称〉で書いている。
だから,徳川家康は自署名を本当の名前の
「源家康」と書き,「徳川家康」とは書かなかった。
これで「決まり」でよろしいですか?

それもちょっと違います…。

源家康が「本当の名前」というのは、いわばタテマエの世界です。
その伝でいえば、我々も「本当の名」(源とか平とか)があるはずですが、そんなのはどこかへ行ってしまって全く存在しなくなっているではないですか?

教科書で大内義隆、毛利元就、武田晴信(出家してからは信玄)、織田信長、徳川家康と表記するのは、これを現代的な意味で「本当の名前」として差し支えないと思います。
ただ、その時代の慣習として、任官の時などに使う「正式な名前」は、それぞれ多々良義隆、大江元就、源晴信、平信長、源家康であるということです。

あじすきさんへ
コメントありがとうございます。

「本当の名前」「正式の名前」のように複雑になると,
中学生たちを混乱させてしまいそうですね。
面白い教材になるかと思ったのですが,
今回はあきらめることにしたいと思います。
お手数かけて済みませんでした。

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