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2009年1月19日 (月)

「白雉二年九月吉日」と墨書された翁の面

例によって「新古代学の扉」の人気コーナー
「古賀事務局長の洛中洛外日記」を見ていたら,
興味深い記事が出ていた。
長文になるが転載させていただく。

「今回の例会で注目すべき報告が
正木さんからなされました。
新たな熟田津候補地に加わった愛媛県西条市の
西隣にある周桑郡丹原町今井の福岡八幡宮に
「奉納 白雉二年九月吉日」と墨書された翁の面が
現存するというものです。
同時代の墨書であることが証明できれば
新たな九州年号史料の一つとなりますし、
初めての「白雉」年号史料となります。
西条市調査の際に
この面も調べてみたいと思っています。
できればC14測定を行い、
年代を確定したいものです」

白雉といえば九州年号の1つで,
652~660の9年間続いた年号である。
白村江の戦いの直前であり,
九州・倭国にとって風雲急を告げる
時代であったことだろう。

直後の白鳳は23年も続いたというか
改元できないままに続いた年である。
(天子である薩夜摩が唐・新羅の連合軍に
捕虜にされてしまったためだ)
そういう歴史は今教科書に書かれることはないが,
やがて真実の歴史が明らかになることだろう。

ちなみに白雉5年という年は,
埼玉県にある高山不動ゆかりの
3つの寺の開基の年として
『市民の古代・第10集』に収録されている。
私も30代の頃訪ねたことがある。

参考 九州年号の証言

九州王朝説を支える有力な証拠の1つが,
517~700年の183年にわたって
連綿と続いていた31個の九州年号である。
それを紹介しておこう。

継体・・・517~521年(5年間)
善記・・・522~525年(4年間)
正和・・・526~530年(5年間)
教到・・・531~535年(5年間)
僧聴・・・536~541年(5年間)
明要・・・541~551年(11年間)
貴楽・・・552~553年(2年間)
法清・・・554~557年(4年間)
兄弟・・・558年(1年間)
蔵和・・・559~563年(5年間)

師安・・・564年(1年間)
和僧・・・565~569年(5年間)
金光・・・570~575年(6年間)
賢接・・・576~580年(5年間)
鏡当・・・581~584年(4年間)
勝照・・・585~588年(4年間)
端政・・・589~593年(5年間)
告貴・・・594~600年(7年間)
願転・・・601~604年(4年間)
光元・・・605~610年(6年間)

定居・・・611~617年(7年間)
倭京・・・618~622年(5年間)
仁王・・・623~634年(12年間)
僧要・・・635~639年(5年間)
命長・・・640~646年(7年間)
常色・・・647~651年(5年間)
白雉・・・652~660年(9年間)◆
白鳳・・・661~683年(23年間)
朱雀・・・684~685年(2年間)
朱鳥・・・686~694年(9年間)◆

大化・・・695~700年(6年間)◆

日本書紀によると,年号は大化(645)から始まり,
飛び石的に白雉や朱鳥があり,
大宝(701)につながるというのだが
およそ年号というものは「すき間なく続いている」
ことに意義があるのであり,
それでこそ年代のモノサシ足りうるのだ。
その点,日本書紀に出てくる3つの年号は
そもそも「年号」としてのテイをなしていないのである。

また,当時朝鮮半島では高句麗・新羅・百済の国々が
それぞれの年号を持ち,誇っていた。
倭国が年号を持っていておかしいことはないし,
むしろその支配権を中国に認めてもらおうとした倭国が
逆に年号を持つことを遠慮していたとしたら
その方が当時の「アジアの常識」としておかしいのだ。

いくつかの年号にふれておく。
全体として「僧聴」「和僧」「金光」「仁王」「僧要」など
仏教の影響が色濃く出ている。
この年号を定めた王朝は深く仏教に帰依していた
ものと思われる。
(九州の仏教受容年代はかなり早い時期のようである)

また,白鳳が23年間と圧倒的に長い。
その前半の白村江の戦いでの敗戦を受け,
長く改元することもままならなかった王朝の
事情が表わされているのではないか。
(実際「薩夜馬」と呼ばれる九州のリーダーが
捕虜になっており,後に送還されてきている)

江戸時代,九州年号については
「邪馬台国」論争とともによく議論されたらしい。
しかし,明治時代になりこれらの年号は
私年号として葬りさられてしまった。

その九州年号を発掘し,歴史の光を当てたのが
古田武彦氏と彼を支持する市民の人たちだったのだ。
九州年号についての最新の研究が
「新古代学の扉」というサイト(古田史学の会)で
見ることができる。
興味のある方はぜひのぞいて見てほしい。

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