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2008年8月 4日 (月)

『大鏡』に大宝「建元」記事

読者のツォータンさんが
「「続日本紀」を読もう(3)」へのコメントで
貴重な内容を教えて下さった。
長くなるが載せさせていただこう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今回、肥さんに触発されて奈良時代の
大臣クラスの人物を調べていく過程で、
『大鏡』に不思議な一文があることを知りました。

(前略)神武天皇より三十七代に当たりたまへる
孝徳天皇と申すみかどの御代にや、
ならびに八省百官、左右大臣、
内大臣なりはじめたまへらむ。
左大臣には安倍の倉橋麻呂、
右大臣には蘇我の山田の石川麻呂・・・
・・・・(中略)・・・・
・・・内大臣には中臣の鎌子の連なり。
年号いまだあらざれば、月日申しにくし(後略)。

ここにいう「内大臣」は日本書紀を信ずる限り
「内臣」の誤りでしょうが、
『大鏡』の作者は孝徳天皇の時代、
「年号はなかった」
と言っているようです。

この後、大友皇子や高市皇子の
ことなどが記述され、そして

・・・四十二代にあたりたまふ
文武天皇の御時に年号定まりたり。
大宝元年といふ。(後略)

とあります。
つまり『大鏡』の作者は

「大化」も「白雉」も「朱鳥」も知りません。
文武天皇の時に「大宝」という年号が定まりました。

と言っていることになります。
『大鏡』のこの大臣序説の条は、
大友皇子について天武天皇と混同していたりと、
粗雑な部分があることは否めませんが、
「大化」という年号を知らず、
「年号は大宝から」
と主張していることは重要だと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

なんと平安時代後期に書かれた『大鏡』に,
大宝「建元」記事が出てくるのだ。
しかも作者は「大化」等の九州年号は
知らないらしい・・・。

ということで,とりあえず
「新古代学の扉」のサイト内検索をしたところ,
該当事項はなかった。

そこで,3人の方に質問メールを
送ってみようと思う。
(古田史学関係の旧知の3人の方である)
さて,どんなお返事をいただけるだろうか。
その結果は明日報告したい。
(8/4)

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

ツォータンさんへ
昨日3人の方に質問したところ,
京都の古賀さんよりご返事がありました。
『大鏡』に大宝「建元」記事が載っていることは
ご存知ありませんでした。
「年号の始まりは大宝から」というのは
当時のインテリの常識だったのではということで
(日蓮も同様),
「日本書紀の大化・白雉・朱鳥を
どのように認識していたのかは
今後の研究課題」だそうです。

そうでしたか。
私の疑問点、というか興味のあるところは
『大鏡』の著者はいったいどんな資料をもとに
この記事を書いたのだろう?
ということです。
上に引用された記事の(中略)の部分にも実は興味のある記事がいくつかあって、たとえば山田石川麻呂について

・・・石川麻呂の大臣、孝徳天皇位につきたまひての元年乙巳、大臣になり、五年己酉、東宮のために殺されたまへりとこそは。これはあまりあがりたる事なり・・・

とあり、このあと「内大臣には・・・」と鎌足の記事につながっていきます。
現在の我々の知る日本書紀を読む限り、これら一連の事項について「いまだ年号あらざれば・・・」とはならないように思われます。

また大友皇子についても

…天智天皇こそは初めて太政大臣をばなしたまへりけれ。それはやがて第四の皇子におはします大友皇子なり。正月に太政大臣になし、同じ十二月二十五日に位につかせたまふ。天武天皇と申しき。…

とあります。
現行の日本書紀のどこを見ても大友皇子の即位についての記事はなく、『大鏡』の著者はいったいどういう記事を見て大友皇子の即位を「十二月二十五日」だと断定したんだろう、と興味があります。
(大友皇子と天武天皇を混同していることについて、天武を天智の子と記す新唐書との関連性にも興味があります)

いずれにしても、現在の我々の認識(定説)とは異なる当時の「常識」があった、ということなのでしょうね。
「大宝が年号の始まり」とする当時のインテリの常識は、現代の常識(定説)よりもずっとまともなのかもしれません。

ツォータンさんへ
コメントありがとうございました。
> 私の疑問点、というか興味のあるところは
> 『大鏡』の著者はいったいどんな資料を
> もとにこの記事を書いたのだろう?
> ということです。
『日本書紀』でないとすると,何なのか。
私も大いに興味をひかれます。
> いずれにしても、現在の我々の認識(定説)
> とは異なる当時の「常識」があった、
> ということなのでしょうね。
> 「大宝が年号の始まり」とする
> 当時のインテリの常識は、
> 現代の常識(定説)よりも
> ずっとまともなのかもしれません。
本当にそうですね。

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