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2008年7月26日 (土)

「続日本紀」を読もう(8)

今日は「九州と四国の間に国境があった!?」
という話題について書こうと思う。

竹島をめぐって韓国との領土・国境問題が
再燃しているところだが,
716(霊亀2)年5月16日に
ちょっと変わった記事があるのを
ご存知だろうか。

「大宰府が次のように言上した。
豊後・伊予の二国の境界は,
従来戌(兵士の屯所)を置いて,
行き来することを許しませんでした。
しかし位階の高下や身分の尊卑によって,
区別があってもよいと思います。
五位以上の官人が使いを遣わして,
往来させることは禁止の対象に
すべきではないと思います」

私は「市民の古代ニュース」の
1991(平成3)年1月号の記事を見て,
これを知ることができたのだが,
この記事から,九州と四国の間に
国境とも呼ぶべき境界が存在したことが
確かにわかるのである。
(豊予海峡は海流の流れが速く,
その分身のしまりが良くて好評な
「関サバ」の漁場でも知られる)

また,いわゆる「磐井の乱」の直前に,
継体天皇が物部麁鹿火(あらかい)に
言ったとされる言葉がある。

「長門(山口県)以東に,朕,之を制せむ。
筑紫(福岡県)以西は,汝,之を制せよ」

長門と筑紫の境界もやはり関門海峡で
両者が海で隔てられている。

以上2つの海峡で区切られる版図とは,
当然九州島ということになる。
九州はやはり独立国(九州王朝)として,
古代に確かに存在したのである。

そのことは,中国正史の
いくつもに出てくるのだが,
「続日本紀」のなかにも
ちゃんと出現していたのであった。

明日は「雅楽寮における筑紫舞の定員」
について書く予定です。
(7/26)

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