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2008年7月23日 (水)

「続日本紀」を読もう(5)

今日は「和同開珎は最初の貨幣か?」
という題で書こうと思う。

というと,「和同開珎より古い時代に
富本銭というのがありましたよねえ」
となることが多いのだが,
どうもそれより古いものがあるのだ。

その名は「無文銀銭」。
お金と言うより地金という体だが,
丸くてちゃんと中央に小さい穴も開いている。
「一番初期のお金」と言ういえそうな
しろものなのだ。

「百銭百話」などのサイトでは,
この無文銀銭を「おそらく日本最初の貨幣」
として写真を載せているので,
まだ見たことのない方は
ぜひ見るといい。
時代・・・不明
年号・・・不明
発行者・・・不明
という「不明だらけ」の銀貨だ。

それに続いて「百銭百話」では
富本銭(683)が載せてあり,
さらに古和銅の銅銭と銀銭
(708またはそれ以前)が,
それに続いて新和銅の銅銭
(708)が載せられている。

私は新和銅(「開」の字体が違う。
「門」の内側が開いている)は,
九州王朝が発行した古和銅を
引き継いで発行したものと思っている。

さて,今683とか708とか
発行年らしき数字をあげたが,
それは銭自体に刻印されて
いるわけではなく,
あくまでも「続日本紀」の記事等を
信じて書かれているのだ。

「続日本紀」の記事を見てみよう。

708年5月 初めて銀銭発行

同年8月 初めて銅銭発行

709年1月 さきに銀銭を頒布して,
 前に通用していた地金の銀に代えた。
 また銅銭を同時に通用させた

同年3月 その物の値が銀銭4文以上ならば
 そのまま銀銭を使い,その値が3文以下ならば
 銅銭を用いよ

同年8月 銀銭の通用を停止して,もっぱら
 銅銭を使用させた

710年1月 大宰府が銅銭を献じた
 播磨国が銅銭を献上した

同年9月 全国の銀銭の使用を停止した

711年5月 籾(もみ)6升を銭1文に相当

同年10月 蓄銭叙位令が出る

714年9月 選り銭禁止令 

ひと言で言えば,
この通貨政策はうまくいっていない。
政府は通貨の発行で利益を上げようとし,
人々は実際の価値に値しない貨幣を嫌がり,
できるだけ使わないようにする。
それに対して政府は,公定価格を出したり,
出世を約束したり,選り銭を禁止したりで
あくまでも政策を押し通そうとする。
何か「どの時代も同じことをやっているなあ」
という気がしてくる。

話を元に戻すが,
無文銀銭はもちろん,富本銭も和同開珎も
「続日本紀」に実際に出てくる呼び名は
銀,銀銭,銅銭で区別ができない。
ここに「続日本紀」の隠している
古代の貨幣の発行者(王朝)の変遷がある
と思うのである。

私は無文銀銭はもちろん,
古和銅(銀銭と銅銭)も九州王朝の発行で,
実際に大和勢力が発行したのは
新和銅(銅銭)からという考えなのだが,
これには異論があると思うので
コメントしていただければと思う。

明日は「「古事記」と「日本書紀」の関係」
について書く予定です。
(7/23)

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