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2008年7月24日 (木)

「続日本紀」を読もう(6)

今日は「古事記と日本書紀の関係」
について書いていきたいと思う。

「続日本紀」に両書について
何と書いてあるかというと,

古事記・・・記載なし(712年にあるはずなのに)
日本書紀・・・720年に「日本紀」として記載

ということで,またまた怪しい「記載なし」
&「別名記載」なのである。

学校では「奈良時代に2つの
歴史書が書かれた」
ということが書かれているが,
果たしてこの2つの歴史書は
どんな役割をしているのだろうか。

実は,その待遇は天と地ほどの違いがあった。
日本書紀は正史として
朝廷で講読さえされたのに対し,
古事記は「続日本紀」に出てくるずの
712年にも登場せず,歴史から抹殺された。
逆に発見後も「偽書ではないか」と
疑われた時期もあったのだ。

しかも,並立することができないほどの
内容の隔たりがそこにはあった。
古事記は基本的に大和国中心の歴史
であるのに対して,
日本書紀は「昔から日本の王者は私たち」
という主張の書だからである。
(先在の出雲王朝や九州王朝を隠している)

古事記は日本書紀の土台ではあるのだが,
その存在が知れると
むしろ「日本書紀の方が偽書である」
という性格を露わにしてしまうことになるのである。
だから,古事記は隠された。

彼らにとって,本来古事記と日本書紀とが
並べて書かれること自体ありえないことだった。
しかし,歴史の真実を知りたい私たちにとっては,
鎌倉時代の「古事記の再発見」は
この上ない幸運であった。

古田武彦氏は,両書の研究によって
多くの収穫をあげ『盗まれた神話』などの
研究書を書くことができたし,
私たちは彼の著書から多元的な古代の
世界を知ることができたのである。

なお,720年に書かれた日本紀は
日本書紀の前身であり,
707,708,717年の続日本紀の
「山沢亡命記事」後にさらに編集されて
今の日本書紀になったと思われる。

明日は「続日本紀」に登場する
「山沢亡命記事」について書く予定である。
(7/25)

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

批判的な意見で申し訳ありませんが
1.年号は、例えば和銅5(712)年と書いていただけませんか。西暦だけでは時代の流れが大変わかりにくいです。
最近、西暦万能の風潮があって困ります。日本史でさえ西暦オンリーの表記が目に付きますが、かえっていつ頃のことか感覚がつかめず、わかりにくくて困ります。
2.肥さんの記述は、大半が古田先生の説なのですから、例えば(古田武彦『古代は輝いていた3』)という形で出典を明示しないと盗用になってしまいます。
引用元を明示してある文は(それが当然のこととはいえ)マナー的にきっちりしていて気持ちが良いです。
以上二点をお願いいたします。

あじすきさんへ
コメントありがとうございます。
> 1.年号は、例えば和銅5(712)年と
> 書いていただけませんか。
> 西暦だけでは時代の流れが
> 大変わかりにくいです。
わかりました。これから気をつけます。
> 2.肥さんの記述は、大半が古田先生の説
> なのですから、例えば(古田武彦『古代は
> 輝いていた3』)という形で出典を明示
> しないと盗用になってしまいます。
> 引用元を明示してある文は(それが当然
> のこととはいえ)マナー的にきっちり
> していて気持ちが良いです。
こちらも了解いたしました。
どうもすいません。
言いにくいことをありがとうございました!

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