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2008年7月22日 (火)

「続日本紀」を読もう(4)

今回は「聖武天皇の詔に登場する
2つの九州年号」を紹介しよう。
724年冬10月1日の記事である。

「治部省が次のように奏言した。
京および諸国の僧尼の名籍を調べてみますと,
あるいは出家の理由に弁明できない者があり,
名は僧綱所の帳に載っていても,
太政官の名簿に落ちている者があり,
顔かたちの特徴に黒子があるとしながら,
それに該当しない者があり,
それらが合わせて千百二十二人になります。
格式に従って考えますと,彼らにも公験を
支給すべきことになりますが,
それでよいのかどうかわかりません。
伏して天皇のご裁定を仰ぎたいと思います。

次のように詔があった。
白鳳以来・朱雀以前のことは,
遥(はる)か昔のことなので,
調べ明らかにすることはむつかしい。
また役所の記録にも,粗略なところが多くある。
そこで今回現在の僧尼の名を確定して,
それから公験を支給せよ」

税制上のことが理由になったものか,
(僧尼は無税だとか)
僧尼の数が急増したらしい。
白鳳年間といえば白村江の戦いの最中で,
混乱期ということもあったのだろう。

そのことを訴え出られて困惑した
治武省に対して,
うっかり九州年号を使用して
詔を出してしまったように思える。
また,「別の王朝の時代のことを
私に言われても困ります」と
言い訳しているようにも思える。

とにかく天皇の詔であるから,
一番確実な言葉であり,
また部下からいうと,
取り消しにくい言葉でもあったことが
歴史研究にとっては逆に幸いした。

かくして天皇の詔という形で
正史の中に確実に
九州年号は記録されたのだった。

なお白鳳と朱雀の2年号は
隣り合っていて,
極端に長いものと極端に短いものであることは
逆にリアリティーがあるように思う。
偽作であれば,故意にバランスを崩すいわれは
さらさらないからだ。(約3分の2が4~6年)

白鳳・・・661~683年(23年間)
朱雀・・・684~685年(2年間)

昨日の連載に川瀬さんが
コメントして下さったように,
白鳳は文化史に必須のものである。
それが23年間という長い期間に渡ることで,
美術史に名を残したのだろう。

明日は「和同開珎は最初の貨幣か?」
という題で書く予定です。
(7/22)

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