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2008年7月25日 (金)

「続日本紀」を読もう(7)

今日は「山沢亡命記事」について
書いてみたいと思う。

私がこのことを知ったのは,
古田武彦氏の『失われた九州王朝』
(朝日文庫版)の補章でのことだった。

「続日本紀」に謎の山沢亡命記事があり,
これがどうも王朝交替期の混乱の様子を
表わしているのではないかというのだ。
それを知って大変驚くとともに,
素晴らしい史料が残っていた
(しかも正史に)と喜んだ。

山沢亡命記事は,次の3つだ。

(1) 707(慶雲4)年 「山沢に亡命して
 軍器を挾蔵し,百日まで首せずんば,
 罪に復すること初の如くす」

(2) 708(和銅元年) 「山沢に亡命して
 禁書を挾蔵し,百日まで首せずんば,
 罪に復すること初の如くす」

(3) 717(養老元年)  「山沢に亡命して
 兵器を挾蔵し,百日まで首せずんば,
 罪に復すること初の如くす」

10年ほどのあいだに似たような記事が
3つ載せられていて,
ことの推移が想像できるように思う。

3つの記事で違うところは
「軍器」「禁書」「兵器」という個所だ。
「軍器」と「兵器」は一見似ているが,
「軍器」とは兵器を含みながらも
その他の旗指物や太鼓など
正規の軍隊が戦闘行為に必要なもの一切の
総称なのだという。

ということは,
実は「亡命している人たちの方が
それまで正規の軍隊(王朝)だった」
と言っているに等しいということだ。
大和勢力への政権交替に抗議して,
まだ正規軍が抵抗を続けていたのだ。

それと同様に,いやある意味では
それ以上に重要なのが,
「禁書」をもって逃げているという
「軍器」の翌年の記事である。

禁書とは大和勢力にとっての禁書で,
おそらく九州王朝の歴史書や系図が
含まれているものだと考えられる。
それを手に入れて処分しないことには,
真の政権交替は成し得ない。
それほど重要な文書だったのだろう。

その後「軍器」も「禁書」も手に入れた大和は,
安心して古事記や日本書紀の編集に
着手できたものと思われる。
「兵器」だけの抵抗なら,
やがては鎮圧することも可能だ。
軍器も禁書も手に入れた以上,
今度は大儀名分が大和側に移り,
「亡命側の人たちこそ反乱軍」との
汚名を着せることができるからだ。

なお,しばらく前の「多元」紙に
(「多元的古代研究会」関東の機関紙)
奄美大島の近くにある「喜界島」に
九州王朝の亡命政府があったのではないか
との情報が載っていた。
遠く離れた離島に古代文化の結晶のような
遺跡が発見されたからである。
山沢亡命記事と合わせて考えると,
大変興味深い記事だ。

また,これは古田氏の受け売りだが,
(どの本かは失念した)
「宋書」日本伝には,1026年(平安時代半ば)
「日本国の太宰府が人を遣わして方物を貢した。
しかも本国の表文を持っていない」
という記事がある。
「太宰府」が「大」ではなく「太」なのと,
「本国の表文を持っていない」という点で
喜界島の亡命政府が送った使いではないかと
想像をたくましくしている。

明日は,「九州と四国の間に国境があった!?」
という題で書きたいと思います。
(7/25)

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