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2008年7月31日 (木)

教育課程の説明会

昨日は新学習指導要領のための上記の会が
国立女性教育会館(武蔵嵐山)で開かれ,
往復4時間ほどかけて行ってきた。

やる作業は主に「ラインマーカーで
指示された場所に線を引くこと」だった。
これなら正確を期すためにも
網掛けをした印刷物をダウンロード
すればいいのだが,
「呼んで線を引かせる」ということに
意味があるようで,
疲れや睡魔と戦いながら
線を引きまくった。

中には資料(「総合」はA4判で124ページの
解説書をダウンロードして持参する)を
持参していない学校もあって,
「これで大丈夫かいな?」と思ってしまった。
知り合いの先生だったので,
帰りに貸してあげたけれど・・・。

個人的には参加者の「同窓会」ともなり,
いっしょに帰りながら旧交を温め,
いろいろ情報交換することができた。
(7/31)

『ハリー・ポッター』上巻終了

最終巻の半分を読み終えた。

いつもだとあっという間に
読み終えてしまうのだが,
今回は最後ということもあって,
少しずつ読んでいる。

困ったのはすでに読み終えて
内容を人にしゃべりたい人で,
昨日もロンとハーマイオニーが・・・とか
ハリーは・・・だとか,
親切にも教えてくれるものだから
参ってしまった。
「まだ読み終えていない人も
いるんですけどー!」

もし私が魔法を使えたら,
その人の口に「あらすじを言えない」
という魔法をかけるところなのだが・・・。
(7/31)

2008年7月30日 (水)

日直の1日

昨日は終日職員室の日直だった。

7月中は先生方も部活動をしていて,
校内もけっこう人数が多い。

午前中に仕事の大半を終え,
午後はわりとのんびり過ごした。

エピソード1・・・
サッカー部副顧問のS先生の
スポーツドリンクについての話。

「いろいろなものが出回っていますが,
サッカーだと試合の前と後はポカリ。
試合中だとアクエリアスが多いかな。
筋肉がつるのを防止するのは
ダカラがいいらしい・・・」

私は現在はアクエリアスを
愛好しているのだが,
スポーツをやる人はさらに工夫して
いろいろ試しているのだろうか。

エピソード2・・・
愛知県で起きた卒業生による
元担任刺傷事件について。

私がパソコンでニュースを見ていたら,
上記の事件が起きていることがわかった。
しばらく私周辺の先生方と話した。

誰も担任した生徒から後で刺される
と思って指導はしていないと思うが,
卒業して3年後「厳しく指導されて
対人恐怖症になった。
高校中退後,勤めた会社で
うまくいかなかったのはそのせいだ。
復讐するつもりでやった」と
その少年は話しているという。

場所は校舎内で,ちょうど顧問の
吹奏楽部の活動をしているところだった。
少年はその教室に入ってくると
無言でナイフで教諭の背中等を刺したという。
またつらい事件が起きてしまった。
(7/30)

「旧唐書」の誤読

テレビ東京に「新説日本ミステリー」
という番組がある。(火曜,午後7時56分~)

ちょっと意表をついた視点で定説を疑って,
興味深い新説を提供してくれたりもするのだが,
こと古代史に関しては「旧唐書」の誤読
と思える内容なのでコメントしておきたいと思う。

「旧唐書」はわが国の記述として,
倭国と日本国があったとしている。
古田史学に学べば,
倭国が九州王朝のことで
日本国が大和勢力のことだとわかるのだが,
この番組では倭国を大和勢力
日本国を関東勢力として比定し,
北関東にその中心があったと考えているようだ。
(「現在発掘中」みたいな映像が流れる)

これは古田史学では「関東王朝」と
呼ぶべきものであり,
倭国・日本国とはまた別の勢力なのである。
(くわしくは古田武彦著『関東に大王あり』
(新泉社刊)を参照のこと)

単なる比定の違いというのにとどまらず,
九州王朝説自体が無視されることにも
つながりかねないのを恐れ,
一筆書いておく次第である。
(7/30)

2008年7月29日 (火)

朋「近方」より来たる

昨日は久しぶりに旧友Kと飲んだ。

彼はとなりの東村山市に住み
児童館の職員をしているのだが,
ふだんはお互いに忙しくて
なかなか会えない。

先週彼から「久しぶりに飲もう」と
電話が入り,
昨夜の一献となった。

場所は例の肴やで,
この店は彼は初めて。
前に楽家があった頃は,
個人また家族とともに
何回か来たことがある。

「お前最近太ったんじゃない?」
(残念ながら朝バナナダイエットで
3キロやせましたよ!)が彼の常套句で,
「先に50歳になった感想をどうぞ!」
(彼は5月5日生まれ)が私のお返し。

そんなたわいもないやり取りから
天下国家の難しい話
(こちらはあまりないが・・・)まで,
気軽にできる関係はやはりいい。

2時間ほど飲んでお開きとなったが,
今度は冬休みあたりになるのかなと
次回の会を楽しみに
またがんばっていきたい。
(7/29)

自由民権求め寺社に落書き

上記の記事が朝日新聞の朝刊の
西埼玉のページに出ていた。

「寺社に落書き」などというと,
また若者が文化財に落書きしたのか!
とフライングしそうだが,
これはまったく違うのでご安心を。

実は1884(明治17)年に埼玉県で起きた
秩父事件の際に書かれた歴史資料なのだ。

法性寺というお寺の観音堂の梁(はり)に,
以下のような文字があった。

「官吏増俸 地租軽減
細民重税 圧政政府」

秩父事件研究顕彰協議会の
篠田健一さんによると,
これは「役人の給料は増えたが,
税金の軽減は実行されず,
下層の農民は重税を押しつけられている。
明治政府は圧政政府だ」と読め,
秩父事件は単なる借金棒引き
のための蜂起ではなく,
自由民権運動そのものだった証拠という。

篠田さんは元中学社会の先生で,
秩父事件に大変くわしい方。
私も秩父事件を描いた映画「草の乱」の
エキストラ参加の際は大変お世話になった。
(7/29)

2008年7月28日 (月)

鮪尽くし

昨日の夕方肴やに寄ったら,
ちょうどマスターが
1人で鮪の頭の解体をしていた。
(私が来店したので「解体ショー」となった)

その流れで昨日は鮪尽くし。
頭の各部位の刺身盛り合わせと
尾の近くの肉のステーキは
とても美味しかった。

「捨てるところがない」といわれる鮪は,
本当に日本人好みの魚だ。
(7/28)

「続日本紀」を読もう(10)

今回は「藤原広嗣の乱の舞台」
について書こうと思う。

740(天平12)年9月3日,
大宰の少弐として九州に飛ばされた
藤原宇合の長子・藤原広嗣が乱を起こした
と「続日本紀」は伝えている。
(同年8月29日に真備と玄昉を
追放することを言上したが,
入れられなかったためとされる)

反乱の際広嗣が頼りにした勢力は,
どこの地方の人々だったのだろうか。
それが「続日本紀」に書いてある。
同年10月9日の記事である。
かいつまんで書くと以下の3つだ。

(1) 広嗣自身の率いた軍勢~
大隅・薩摩・筑前・豊後など5000人

(2) 綱手(広嗣の弟か?)の率いた軍勢~
筑後・肥前など5000人

(3) 多胡古麻呂の率いた軍勢~
不明

3番目の多胡古麻呂の率いた軍勢は
不明とされているが,
もし同じ5000人だとしたら
合計15000人もの軍勢が
九州各地から集められたことになる。
ものすごい人数だ。

ではなぜ広嗣は,これほど多くの人々を
短期に徴収することができたのだろう。
それは表向きには書いていないが,
彼はかつての九州王朝の力を頼りにして
乱を起こしたように思えてならない。
(乱自体は約2ヶ月で鎮圧されてしまったが)

742(天平14)年正月5日,
大宰府が廃止された。
廃止した府の官物は筑前国府に
付託されたようであるが,
その理由が書いてない。
(講談社学術文庫には「広嗣の乱に関係が
あったと思われる」と訳者の宇治谷孟氏の
コメントが付けられている)

大宰府が復活するのは
745(天平17)年6月5日のことであるから,
3年半ほど大宰府は政治が行えず,
744(天平16)年正月23日からは
鎮西府によって管理されたことが
伝えられている。

その後,西国方面への憂いを取り除いた
聖武天皇をはじめとする大和勢力は,
各地への遷都や大仏建立・総国分寺としての
東大寺建立に取り組むことになる。

今まで10回にわたり「「続日本紀」を読もう」
という題で連載してきました。
私自身の勉強不足や不行き届きから,
あまりお役に立たなかったかもしれませんが,
「日本の古代史にはまだ謎が多いらしい。
少し勉強してみようかな」と
少しでも思っていただければうれしいです。
私自身は楽しい10日間を過ごすことができました。
コメントいただいた皆さん,
おしまいまでお付き合い下さった皆さん,
どうもありがとうございました。
(7/28)

2008年7月27日 (日)

『たの授』公開編集会議・2008年7月

昨日は学校で臨時部活動保護者会
(ユニホーム代の分担の件)
を開いた後,仮説社に向かった。
上記の会に参加するためである。

2ヶ月ぶりの参加で,
買おうと思っていたもの(授業書と手品)
を買うこともでき,
また荒川さんから本も貸してもらって
有意義に時間を使うことができた。
やはり月に1度のこの刺激は必要だ。

板倉さんの『科学と教育』が
夏の大会までにできるらしい。
また,絵本版『もしも原子が見えたなら』も
やがてできるそうで楽しみだ。

家に帰ってメールチェックをしていたら,
森田さんからの講師依頼が入っていた。
東洋大学でこの秋しゃべることになりそうだ。
「仮説」や古田史学も宣伝できると思うので,
これから資料作りに励みたい。
(7/27)

「続日本紀」を読もう(9)

今日は「雅楽寮における筑紫舞の定員」
について書こうと思う。

これも古田氏の受け売りなのだが,
『よみがえる九州王朝』(角川選書)に
出てくる筑紫舞と同じ名前を持つものが
「続日本紀」の731(天平3)年7月29日に
出てくるのだ。

「雅楽寮に属する各種の楽生の定員を定めた。
大唐楽には39人,百済楽には26人,
高麗楽には8人,新羅楽には4人,
度羅(済州島)楽には62人,
諸県(日向)楽には8人,
筑紫舞には20人である・・・」

最後の筑紫舞というのがそれで,
『よみがえる九州王朝』によれば,
西山村光寿斉さんが伝授され,
その伝統を伝えている
九州王朝の宮廷舞と推定されるものだ。

中でも白眉は「7人立ち」と呼ばれるもので,
次の7人がそれぞれの役を演じる。

肥後の翁
都(筑紫)の翁
越の翁
出雲の翁
難波津より上りし翁(大和?)
尾張の翁
寿(えびす)の翁

この舞は国宝が数多く発掘された
宮地嶽古墳(福岡県)の中で
秘密裏に伝えられてきたらしいことが
古田氏の調査でわかっている。

「続日本紀」に載っている筑紫舞が,
これと同じものかどうかは分からない。
しかし,唐をはじめ東アジア諸国の文化を
学びながらも,なお前王朝の文化も
無視できなかったと思われ,
やはりこの記載は興味深い。

明日は「藤原広嗣の乱の舞台」について
書こうと思います。
(7/27)

2008年7月26日 (土)

『ハリー・ポッターと死の秘宝』

昨日2日遅れで例の「最終巻」を入手した。
この夏休みの楽しみの1つとなりそうだ。

その本を買ったのが近所の白樺書房。
そこに働いていたのが,
かつて担任をしたTさんのお母さん。

「娘は今36歳で,2児の母親ですよ」と
お嬢さんの近況を教えて下さった。

私が「よろしくお伝え下さい」と私が告げると,
「もちろんです。すぐにメールしちゃいます」と
お答え下さった。ありがたい。

ハリー・ポッターの魔法が,
ここ新所沢にまで効いたのか?
私は自転車をこぐ足も軽やかに,
中学校へと向かったのだった。
(7/26)

「続日本紀」を読もう(8)

今日は「九州と四国の間に国境があった!?」
という話題について書こうと思う。

竹島をめぐって韓国との領土・国境問題が
再燃しているところだが,
716(霊亀2)年5月16日に
ちょっと変わった記事があるのを
ご存知だろうか。

「大宰府が次のように言上した。
豊後・伊予の二国の境界は,
従来戌(兵士の屯所)を置いて,
行き来することを許しませんでした。
しかし位階の高下や身分の尊卑によって,
区別があってもよいと思います。
五位以上の官人が使いを遣わして,
往来させることは禁止の対象に
すべきではないと思います」

私は「市民の古代ニュース」の
1991(平成3)年1月号の記事を見て,
これを知ることができたのだが,
この記事から,九州と四国の間に
国境とも呼ぶべき境界が存在したことが
確かにわかるのである。
(豊予海峡は海流の流れが速く,
その分身のしまりが良くて好評な
「関サバ」の漁場でも知られる)

また,いわゆる「磐井の乱」の直前に,
継体天皇が物部麁鹿火(あらかい)に
言ったとされる言葉がある。

「長門(山口県)以東に,朕,之を制せむ。
筑紫(福岡県)以西は,汝,之を制せよ」

長門と筑紫の境界もやはり関門海峡で
両者が海で隔てられている。

以上2つの海峡で区切られる版図とは,
当然九州島ということになる。
九州はやはり独立国(九州王朝)として,
古代に確かに存在したのである。

そのことは,中国正史の
いくつもに出てくるのだが,
「続日本紀」のなかにも
ちゃんと出現していたのであった。

明日は「雅楽寮における筑紫舞の定員」
について書く予定です。
(7/26)

2008年7月25日 (金)

本日5万アクセス達成!

東京ドームをいっぱいにすると
5万人ぐらいの人が入るのでしょうか。
「肥さんのホームページ」を始めた時,
5万アクセスは1つの大きな夢でした。

しかし,途中でブログへの変更を
余儀なくされたこともあって,
それははかない夢に終わることも
覚悟した私でした。

だがしかし,ブログ開始後も
ホームページの読者の皆様には
ご支援をいただいて,
何とか4年8ヶ月で
夢の5万アクセスに本日達しました。
(先ほど見たら「50001」でした)

今は更新の舞台は
「肥さんの夢ブログ」に移りましたが,
今後とも私のインターネットの原点である
ホームページを利用していただければと
思っています。

さまざまなコンテンツが設定され,
またそこから他のサイトへのアクセスが
取れるようになっていますし,
中学生には「三択問題」で社会科の学力を
つけるのにも役立ててもらえると思います。

なお,こちらの「肥さんの夢ブログ」の方は,
途中でホームページのアクセス数を追い越し,
現在10万2000アクセス程です。
こちらの方には「アクセス数」というのと
「訪問者数」というのがあって,
より数の少ない「訪問者数」の方を
アクセス数と考えています。
(7/25)

文庫版『国語辞典の名語釈』

私の中学時代の友人である
武藤康史君の本の文庫化がこの程なり,
例によって献呈していただいた。

もとの本は2002(平成14)年の
三省堂の発行だったが,
今回はちくま学芸文庫からの発行で,
定価は950円+税。
もとの本の誤植も丁寧に直し,
あらたに書き下ろしの「国語辞典年表」も
加えられているのがうれしい。

国語辞典に興味のある方だけでなく,
文学や歴史に興味のある方にも
ぜひ手にとっていただきたいと思う。
(7/25)

「続日本紀」を読もう(7)

今日は「山沢亡命記事」について
書いてみたいと思う。

私がこのことを知ったのは,
古田武彦氏の『失われた九州王朝』
(朝日文庫版)の補章でのことだった。

「続日本紀」に謎の山沢亡命記事があり,
これがどうも王朝交替期の混乱の様子を
表わしているのではないかというのだ。
それを知って大変驚くとともに,
素晴らしい史料が残っていた
(しかも正史に)と喜んだ。

山沢亡命記事は,次の3つだ。

(1) 707(慶雲4)年 「山沢に亡命して
 軍器を挾蔵し,百日まで首せずんば,
 罪に復すること初の如くす」

(2) 708(和銅元年) 「山沢に亡命して
 禁書を挾蔵し,百日まで首せずんば,
 罪に復すること初の如くす」

(3) 717(養老元年)  「山沢に亡命して
 兵器を挾蔵し,百日まで首せずんば,
 罪に復すること初の如くす」

10年ほどのあいだに似たような記事が
3つ載せられていて,
ことの推移が想像できるように思う。

3つの記事で違うところは
「軍器」「禁書」「兵器」という個所だ。
「軍器」と「兵器」は一見似ているが,
「軍器」とは兵器を含みながらも
その他の旗指物や太鼓など
正規の軍隊が戦闘行為に必要なもの一切の
総称なのだという。

ということは,
実は「亡命している人たちの方が
それまで正規の軍隊(王朝)だった」
と言っているに等しいということだ。
大和勢力への政権交替に抗議して,
まだ正規軍が抵抗を続けていたのだ。

それと同様に,いやある意味では
それ以上に重要なのが,
「禁書」をもって逃げているという
「軍器」の翌年の記事である。

禁書とは大和勢力にとっての禁書で,
おそらく九州王朝の歴史書や系図が
含まれているものだと考えられる。
それを手に入れて処分しないことには,
真の政権交替は成し得ない。
それほど重要な文書だったのだろう。

その後「軍器」も「禁書」も手に入れた大和は,
安心して古事記や日本書紀の編集に
着手できたものと思われる。
「兵器」だけの抵抗なら,
やがては鎮圧することも可能だ。
軍器も禁書も手に入れた以上,
今度は大儀名分が大和側に移り,
「亡命側の人たちこそ反乱軍」との
汚名を着せることができるからだ。

なお,しばらく前の「多元」紙に
(「多元的古代研究会」関東の機関紙)
奄美大島の近くにある「喜界島」に
九州王朝の亡命政府があったのではないか
との情報が載っていた。
遠く離れた離島に古代文化の結晶のような
遺跡が発見されたからである。
山沢亡命記事と合わせて考えると,
大変興味深い記事だ。

また,これは古田氏の受け売りだが,
(どの本かは失念した)
「宋書」日本伝には,1026年(平安時代半ば)
「日本国の太宰府が人を遣わして方物を貢した。
しかも本国の表文を持っていない」
という記事がある。
「太宰府」が「大」ではなく「太」なのと,
「本国の表文を持っていない」という点で
喜界島の亡命政府が送った使いではないかと
想像をたくましくしている。

明日は,「九州と四国の間に国境があった!?」
という題で書きたいと思います。
(7/25)

2008年7月24日 (木)

新チーム初日

昨日は新チームの初日だった。

第1回の練習だったため,
途中で部長と副部長を決めた。
立候補で部長にK君,
副部長にS君とN君が選ばれた。

今の2年生は1年の頃から
コートに立ってきたメンバーが中心だ。
ぜひ新人戦から突き抜けて,
来年の学総体では県の上位を狙いたい。
その記念すべき第1回の練習だった。
(7/24)

「続日本紀」を読もう(6)

今日は「古事記と日本書紀の関係」
について書いていきたいと思う。

「続日本紀」に両書について
何と書いてあるかというと,

古事記・・・記載なし(712年にあるはずなのに)
日本書紀・・・720年に「日本紀」として記載

ということで,またまた怪しい「記載なし」
&「別名記載」なのである。

学校では「奈良時代に2つの
歴史書が書かれた」
ということが書かれているが,
果たしてこの2つの歴史書は
どんな役割をしているのだろうか。

実は,その待遇は天と地ほどの違いがあった。
日本書紀は正史として
朝廷で講読さえされたのに対し,
古事記は「続日本紀」に出てくるずの
712年にも登場せず,歴史から抹殺された。
逆に発見後も「偽書ではないか」と
疑われた時期もあったのだ。

しかも,並立することができないほどの
内容の隔たりがそこにはあった。
古事記は基本的に大和国中心の歴史
であるのに対して,
日本書紀は「昔から日本の王者は私たち」
という主張の書だからである。
(先在の出雲王朝や九州王朝を隠している)

古事記は日本書紀の土台ではあるのだが,
その存在が知れると
むしろ「日本書紀の方が偽書である」
という性格を露わにしてしまうことになるのである。
だから,古事記は隠された。

彼らにとって,本来古事記と日本書紀とが
並べて書かれること自体ありえないことだった。
しかし,歴史の真実を知りたい私たちにとっては,
鎌倉時代の「古事記の再発見」は
この上ない幸運であった。

古田武彦氏は,両書の研究によって
多くの収穫をあげ『盗まれた神話』などの
研究書を書くことができたし,
私たちは彼の著書から多元的な古代の
世界を知ることができたのである。

なお,720年に書かれた日本紀は
日本書紀の前身であり,
707,708,717年の続日本紀の
「山沢亡命記事」後にさらに編集されて
今の日本書紀になったと思われる。

明日は「続日本紀」に登場する
「山沢亡命記事」について書く予定である。
(7/25)

2008年7月23日 (水)

学総体・県大会の結果

昨日はさいたま市記念総合体育館で
学総体・県大会が行われ,
男子バレー部員27名と行ってきた。
(保護者の皆さんや女子バレー部なども
多数応援に駆けつけてくれた)

対草加青柳中 2対0(25ー20,25ー17)

緊張からかスタートは劣勢だったが,
相手の攻撃をブロックで防ぎ,
後半は逆転した。
2セットとも同じような形だった。

対岩槻中 0対2(22ー25,17ー25)

岩槻中は背は大きくないが,
確実なレシーブと威力のある平行サーブで
翻弄(ほんろう)された。
特に第1セットは22ー22まで追いついたのに,
大変残念だった。

ここまで応援して下さった皆様,
本当にありがとうございました!
(7/23)

「続日本紀」を読もう(5)

今日は「和同開珎は最初の貨幣か?」
という題で書こうと思う。

というと,「和同開珎より古い時代に
富本銭というのがありましたよねえ」
となることが多いのだが,
どうもそれより古いものがあるのだ。

その名は「無文銀銭」。
お金と言うより地金という体だが,
丸くてちゃんと中央に小さい穴も開いている。
「一番初期のお金」と言ういえそうな
しろものなのだ。

「百銭百話」などのサイトでは,
この無文銀銭を「おそらく日本最初の貨幣」
として写真を載せているので,
まだ見たことのない方は
ぜひ見るといい。
時代・・・不明
年号・・・不明
発行者・・・不明
という「不明だらけ」の銀貨だ。

それに続いて「百銭百話」では
富本銭(683)が載せてあり,
さらに古和銅の銅銭と銀銭
(708またはそれ以前)が,
それに続いて新和銅の銅銭
(708)が載せられている。

私は新和銅(「開」の字体が違う。
「門」の内側が開いている)は,
九州王朝が発行した古和銅を
引き継いで発行したものと思っている。

さて,今683とか708とか
発行年らしき数字をあげたが,
それは銭自体に刻印されて
いるわけではなく,
あくまでも「続日本紀」の記事等を
信じて書かれているのだ。

「続日本紀」の記事を見てみよう。

708年5月 初めて銀銭発行

同年8月 初めて銅銭発行

709年1月 さきに銀銭を頒布して,
 前に通用していた地金の銀に代えた。
 また銅銭を同時に通用させた

同年3月 その物の値が銀銭4文以上ならば
 そのまま銀銭を使い,その値が3文以下ならば
 銅銭を用いよ

同年8月 銀銭の通用を停止して,もっぱら
 銅銭を使用させた

710年1月 大宰府が銅銭を献じた
 播磨国が銅銭を献上した

同年9月 全国の銀銭の使用を停止した

711年5月 籾(もみ)6升を銭1文に相当

同年10月 蓄銭叙位令が出る

714年9月 選り銭禁止令 

ひと言で言えば,
この通貨政策はうまくいっていない。
政府は通貨の発行で利益を上げようとし,
人々は実際の価値に値しない貨幣を嫌がり,
できるだけ使わないようにする。
それに対して政府は,公定価格を出したり,
出世を約束したり,選り銭を禁止したりで
あくまでも政策を押し通そうとする。
何か「どの時代も同じことをやっているなあ」
という気がしてくる。

話を元に戻すが,
無文銀銭はもちろん,富本銭も和同開珎も
「続日本紀」に実際に出てくる呼び名は
銀,銀銭,銅銭で区別ができない。
ここに「続日本紀」の隠している
古代の貨幣の発行者(王朝)の変遷がある
と思うのである。

私は無文銀銭はもちろん,
古和銅(銀銭と銅銭)も九州王朝の発行で,
実際に大和勢力が発行したのは
新和銅(銅銭)からという考えなのだが,
これには異論があると思うので
コメントしていただければと思う。

明日は「「古事記」と「日本書紀」の関係」
について書く予定です。
(7/23)

2008年7月22日 (火)

いざ県大会へ

本日は男子バレーボールの
県大会が行われる。

草加青柳中とまず戦い,
もし勝てれば今度は岩槻中と試合をする。

これも勝てれば3回戦以降は場所を変えて
ベスト8をかけて戦う。

第3試合が最初なのはスロースターターの
わが校にとってはラッキー。
問題は最初の戦いの草加青柳中戦から
第7試合の岩槻中までの長時間である。
これを突破して何とか2日目の
第3回戦に進みた~い。
(7/22)

「続日本紀」を読もう(4)

今回は「聖武天皇の詔に登場する
2つの九州年号」を紹介しよう。
724年冬10月1日の記事である。

「治部省が次のように奏言した。
京および諸国の僧尼の名籍を調べてみますと,
あるいは出家の理由に弁明できない者があり,
名は僧綱所の帳に載っていても,
太政官の名簿に落ちている者があり,
顔かたちの特徴に黒子があるとしながら,
それに該当しない者があり,
それらが合わせて千百二十二人になります。
格式に従って考えますと,彼らにも公験を
支給すべきことになりますが,
それでよいのかどうかわかりません。
伏して天皇のご裁定を仰ぎたいと思います。

次のように詔があった。
白鳳以来・朱雀以前のことは,
遥(はる)か昔のことなので,
調べ明らかにすることはむつかしい。
また役所の記録にも,粗略なところが多くある。
そこで今回現在の僧尼の名を確定して,
それから公験を支給せよ」

税制上のことが理由になったものか,
(僧尼は無税だとか)
僧尼の数が急増したらしい。
白鳳年間といえば白村江の戦いの最中で,
混乱期ということもあったのだろう。

そのことを訴え出られて困惑した
治武省に対して,
うっかり九州年号を使用して
詔を出してしまったように思える。
また,「別の王朝の時代のことを
私に言われても困ります」と
言い訳しているようにも思える。

とにかく天皇の詔であるから,
一番確実な言葉であり,
また部下からいうと,
取り消しにくい言葉でもあったことが
歴史研究にとっては逆に幸いした。

かくして天皇の詔という形で
正史の中に確実に
九州年号は記録されたのだった。

なお白鳳と朱雀の2年号は
隣り合っていて,
極端に長いものと極端に短いものであることは
逆にリアリティーがあるように思う。
偽作であれば,故意にバランスを崩すいわれは
さらさらないからだ。(約3分の2が4~6年)

白鳳・・・661~683年(23年間)
朱雀・・・684~685年(2年間)

昨日の連載に川瀬さんが
コメントして下さったように,
白鳳は文化史に必須のものである。
それが23年間という長い期間に渡ることで,
美術史に名を残したのだろう。

明日は「和同開珎は最初の貨幣か?」
という題で書く予定です。
(7/22)

2008年7月21日 (月)

新しいユニホームをめぐって

昨日は男子バレー部の
新しいユニホームをめぐって,
いろいろ考えさせられた。

私は文化部出身なので
こういう件については疎(うと)かったが,
運動部は他の学校と戦いつつ,
部内でも競争なのだなあと
あらためて思った。
(7/21)

「続日本紀」を読もう(3)

701年3月21日の記事に,
有名な大宝年号の建元記事が出てくる。

「対馬嶋が金を貢じた。
そこで新しく元号をたてて,大宝元年とした」

唐の律令をまねた大宝律令の
スタートの年として,
知らない人はないだろう。
ここから日本の年号は始まった!

ところが,よく考えてみると
これは不思議な記事だったのである。
大宝が建元なら,
それ以前に登場する大化,白雉,朱鳥の
3つの年号は何だったのだろうと・・・。
当然その疑問が浮かんでこなければ
いけなかったのである。
(私は古田史学の会の古賀さんから
教えていただいてあわてた)

日本書紀には正直にこう書いてある。

改元して大化。
改元して白雉。
改元して朱鳥。

大化から始まったと思っていた年号は,
実は改元であったことが
ここにはっきり出ていたのであった。

だが,そうすると大化の以前にも
建元された年号があったことになる。
それはどこの王朝が作ったものだったのか。
また,どんな年号がどのように
続いてきたのだろうか。
実は,それらは古田武彦氏と
市民の研究者によって史料発掘されている。
「九州年号」と呼ばれるものだ。

これは九州王朝が200年近くにわたって
連綿と建元・改元を続けたもので,
各地の寺社の創設記事などに
しっかりと現存している。
次に,31の年号すべてに
登場してもらおう。

継体・・・517~521年(5年間)
善記・・・522~525年(4年間)
正和・・・526~530年(5年間)
教到・・・531~535年(5年間)
僧聴・・・536~541年(5年間)
明要・・・541~551年(11年間)
貴楽・・・552~553年(2年間)
法清・・・554~557年(4年間)
兄弟・・・558年(1年間)
蔵和・・・559~563年(5年間)

師安・・・564年(1年間)
和僧・・・565~569年(5年間)
金光・・・570~575年(6年間)
賢接・・・576~580年(5年間)
鏡当・・・581~584年(4年間)
勝照・・・585~588年(4年間)
端政・・・589~593年(5年間)
告貴・・・594~600年(7年間)
願転・・・601~604年(4年間)
光元・・・605~610年(6年間)

定居・・・611~617年(7年間)
倭京・・・618~622年(5年間)
仁王・・・623~634年(12年間)
僧要・・・635~639年(5年間)
命長・・・640~646年(7年間)
常色・・・647~651年(5年間)
白雉・・・652~660年(9年間)◆
白鳳・・・661~683年(23年間)
朱雀・・・684~685年(2年間)
朱鳥・・・686~694年(9年間)◆

大化・・・695~700年(6年間)◆

◆の3年号は順番も変えて,
日本書紀のなかにはめ込まれている。
しかし,大宝を建元としたところから,
すべての矛盾がはっきりしてしまった。

さすがに当時使われていた九州年号を
無視することはできず,
聖武天皇の詔の中にも登場させている。
その記事が「続日本紀」の中にある。

明日は「聖武天皇の詔に登場する
九州年号」について書く予定です。
(7/21)

2008年7月20日 (日)

県大会へ向けての練習試合(3)

昨日は鳩山中学校にお邪魔して,
県大会出場の4校で練習試合をした。
その結果を報告しよう。

対秩父一中 2対1(25ー6,B20ー25,
              B25ー21)

対鳩山中 2対0(25ー14,25ー5)

対新座中 3対0(25ー21,25ー20,
           25ー15)

この結果,Aチームが6セット全勝で,
Bチームが1勝1敗だった。

特に新座中は強打の選手が多く,
それをブロックで徹底的に防いだことが
勝利につながったのだと思う。

このような機会を与えて下さった
鳩山中男子バレー部の顧問の先生と
部員の皆さんに感謝したい。

今後2日間の調整を行い,
いよいよ22日(火)には県大会当日を迎える。
さいたま市記念総合体育館で行われるので,
よろしかったら応援に来て下さい。
(7/20)

「続日本紀」を読もう(2)

今日の話題は,
「評制から郡制へ」である。

698年3月9日,以下の記事が出てくる。

「筑前国の宗形と出雲国の意宇の両郡の郡司は,
共に三等以上の親族を続けて任用することを許す。

また,翌3月10日の記事には,

「諸国の郡司を任命し,次のように詔をされた・・・」

ちょっと歴史を勉強した人なら,
昔は評制(国・評・里)だったが
ある時から郡制(国・郡・里)に変わった
ということを記憶されているだろう。
(発掘された木簡によると,
700年までは評制が行われ,
701年から郡制に変わるということだ)

上の記事は,その郡制の役人である郡司の任命を
大和が行ったという華々しい記事なのである。
だが,ことはそれだけでは済まない。

では,それ以前の評制は誰が作ったのか,
記紀も「続日本紀」も黙して語らないからである。

ただ,そのヒントが700年6月3日の
「続日本紀」の記事に出てくる。

「薩末の比売・久売・波豆・衣評の督の衣君県・
同じく助督の衣君弖自美,また肝衝の難波,
これに従う肥人らが武器を持って,
さきに朝廷から派遣された?(不の下に見)国使の
刑部真木らをおどして,物を奪おうとした。
そこで筑紫の惣領に勅を下して,
犯罪の場合と同じように処罰させた」

この中に出てくる評督と助督が,
評制の位らしいことが分かるからである。
そして舞台は九州。
だから,その地で評制が誕生したことは
非常に可能性が高いと思われる。

おそらく評制が創設された時,
九州王朝の歴史書は
そのことを華々しく書いたことであろう。
しかし,大和の日本書紀の編纂に当たって,
その記事は当然カットされた。
だって,そんなことを載せたら
九州王朝の先在がばれてしまうから。

歴史書というのは,すべてのことが
書かれているわけではない。
国家権力がその国の国民に
どのような歴史像を描かせたいか
という観点で書かれるものだ。
それを頭に置いておかないと
書いてあることだけに目を奪われ,
「書かれていないこと」が見えてこないのだ。
そういう意味で日本の古代史は,
今なおスリリングな研究対象であると思う。

明日は,「大宝年号の「建元」」
について書きます。
(7/20)

2008年7月19日 (土)

サマージャンボが当たったら

昨夜は暑気払いの会が行われた。

3学期制なら学期ごとの納会でいいのに,
わざわざ名前を変えなくては
いけないのもわずらわしいが,
とにかく4ヶ月の仕事の慰労をした。

盛り上がったのは,ビンゴ大会。
景品には8月に抽選のある
サマージャンボ宝くじが出た。

みんな1等を当てるつもりらしく,
心なしか鼻息が荒い。
私は謙虚に?2等狙い。
それでも1億円だから,
飲んだ勢いもあって話がでかくなる。

O先生 「肥さん。もし1億が当たったら
19ある教室全部に冷水機を入れてよ」

私 「わかりました。1台5万円として
100万あれば足りますよね。
お安い御用で」

O先生 「ついでに全教室に冷房機を・・・」

私 「それはやりません。
冷房は体に良くないので他のもので
やりましょう」など。

当たったわけでもないのに,
「獲らぬ狸の皮算用」。
当たったと仮定した話は大きくふくらむ。
こういう企画はあまりお金をかけずに
夢を語り合えるので楽しい。
(7/18)

「続日本紀」を読もう

昨日の1学期前半の最終日。
生徒たちはたくさんの荷物と宿題を抱えて
下校していった。
今日から「夏休み」だ。

1学期前半は林間学校と部活動に
忙殺されていて,
古代史の勉強もままならなかった。
なので,生活を切り替える意味でも
今日から「続日本紀」を読むことにしたい。
44日間の私の宿題だ。
そして,疑問に思ったことや「発見」したことを
このブログで書いていきたい。
久々の連載シリーズだ。

そもそも日本書紀から続日本紀にかけては
「はじめて~した」という記事が山ほどある。
これは「はじめて大和が~した」という意味で
使われているようだ。
これらを分析していく中で,
九州王朝説の補強ができるように思う。
どうぞお楽しみに!
(7/18)

2008年7月18日 (金)

全日本の野球チーム

昨日オリンピックに出場する
全日本の野球チームの発表があった。

ヤクルトの宮本慎也(キャプテン)をはじめ
ほとんど予想通りのメンバーだが,
巨人の上原はインタビューにも
遠慮がちに答えていた。

それはそうだ。
今季は自身の不調も手伝って,
チームがなかなか波に乗れない。
しかも,2軍の調整開けで
痛打されたのも記憶に新しい。

そんな中でのメンバー発表だから,
星野監督も勇気が必要だっただろうし,
上原本人も二重のプレッシャーを感じて
沈鬱な表情だったのだろう。

しかし,上原投手には
これをチャンスと切り換えて,
オリンピックでの好投と
後半戦のプロ野球での
活躍を期待したいところだ。

そのきっかけを星野監督に
与えてもらったと前向きに考えてほしい。
それだけの力と経験があるからこそ
代表に選ばれたのだと思うから・・・。
(7/18)

ありがとう 野茂投手

昨日はもう1つ野球のニュースがあった。
野茂投手の引退発表である。

元近鉄で5年間投げた後,
大リーグに移籍して14年。
トルネード投法という独特のフォームから
繰り出される速球とフォークボールは,
多くのファンを魅了してきた。

大リーグに移籍した1995年。
私は新聞記事をスクラップしていた。
最初は小さい記事だったが,
やがて量も多くなり,カラー写真も
紙面に載るようになった。

その後オールスター戦に先発したり,
2回もノーヒットノーランの試合をしたり,
野茂投手はものすごい記録を
次々と打ち立てていった。

しかし,何よりも一番の功績は,
後輩たちに大リーグという活躍の場が
あることを知らせたことにあると思う。
彼に続きイチローや松井,松坂が
海を渡って活躍することができたのも,
この人のお陰だ。

開拓者とかパイオニアとかいう言葉は,
野茂投手のために使われることが
最もふさわしいのではないか。

社会人野球が陰りを見せたときも,
クラブチームを作って一石を投じた。
そんな選手は今まで日本に存在しなかった。

ありがとう野茂投手。
あなたのチャレンジ精神には,
私も大いに勇気づけられました。
(7/18)

2008年7月17日 (木)

ブログの「常連さん」

このブログにはアクセス解析
というものが付いていて,
「誰が来てくれたのか」という
個人的なことまではわからないが,
ある人が何回来てくれたかを
カウントする機能がある。

ここでは「100アクセス」して下さった方を
「常連さん」と呼ぶことにする。
30位までの「常連さん」を紹介しよう。
(最近30人目の方が
「100アクセス」を達成して下さった。
今後ともよろしくお願いいたします)

(30) 103
(29) 114
(28) 120
(27) 125
(26) 130
(25) 134
(24) 135
(23) 137
(22) 141
(20) 174

(20) 174
(18) 181
(18) 181
(17) 182
(16) 203
(15) 204
(14) 212
(13) 227
(12) 238
(11) 245

(10) 248
(9) 286
(8) 301
(7) 327
(6) 328
(5) 349
(4) 396
(3) 423
(2) 552
(1) 775

「継続は力なり」という言葉があります。
私もそれを信じて更新していきますので,
読者の皆様も「継続は力なり」で
よろしくお願いいたします。
(7/17)

三者面談が終了

昨日三者面談期間が終了した。

暑い中この時期にやるのは大変だが,
夏休みを前にして行う意義はあると思うし,
また,家庭訪問がない勤務校では,
三者面談は家庭の様子をうかがう
数少ない機会でもある。
というわけで,先週の木曜日から
土日をはさんで5日間おこなった。

別に三者面談の15分間で
劇的な変容を期待できるわけもないが,
1学期前半(所沢市は2学期制)を振り返らせ,
自らの足りない点をつかみ,
自ら改善していくことを意識づけるには
やはり必要かなと思う。

少しでも暑くないようにと,
せめてもの扇風機を生徒と保護者に
向けつつ三者面談期間は終わった。
しかし,日程の調整がつかず,
まだ2人は終わっていない。
(7/17)

わが愛しのアイスノン

昨日はさすがに寝苦しく,
夜アイスノンのお世話になった。

いかにもアナログな道具だが,
部屋全体を涼しくするエアコンより
(ということは,となりの家を暑くする)
環境にやさしいグッズである。

冷蔵庫に入れて冷やしておいたやつを
タオルにくるんで,
直接頭に当たらないようにして使った。
おかげでいつもより快適に寝ることができた。

みなさんはこの夏,
どんな方法で涼を取りますか?
良いアイデアがあったら教えて下さいネ。
(7/17)

2008年7月16日 (水)

プロフェッショナル「将棋名人戦SP」

昨夜の番組は,異例のものだった。

小4で初対決をして以来
宿命のライバルある
プロ棋士の羽生善治と森内俊之。
その2人が対決したこの春の名人戦が
特集されていたからだ。
しかも1時間の特別枠(いつもは45分)だった。

私は将棋についてはずぶの素人で,
くわしいことは分からないが,
何10手もの先の先を読んで戦うのに
ものすごくエネルギーのいるものらしい。

まして,定石はもちろん
相手の指し手も知り尽くした2人である。
一局10数時間の対決が
合計6回も行われた。

番組では,それぞれの対戦で
節目となる局面を取り上げて
インタビューしていたが,
合計100時間もの対決の上,
今回は羽生善治が4勝2敗で
勝つこととなった。

これまで将棋には縁のなかった私だが,
2人の棋士のすごさがよくわかった。
良きライバルがいることは幸いである。
互いに悩み,成長し合える。
(7/16)

疲れてる

私ももちろんだが,
学年の先生たちも疲れている。
昨日は1人がお休み。
もう1人は病院に寄ってから来た。

できたら私も休みたいが,
県大会が終わるまで
それは許されないだろう。

もともと午前中4時間授業の後
三者面談が5日ある日程がきびしい上,
ここのところの30℃越えと熱帯夜だ。
これで体が壊れない方が
不思議なのである。

あと1週間,私の体がもちますように!
(7/16)

2008年7月15日 (火)

プロフェッショナル「宮本慎也」

プロ野球のヤクルトのキャプテンであり,
同時に北京オリンピックの日本チームの
キャプテンでもある宮本は,
彼が信じるところの「二流の一流」をめざし,
いぶし銀のごとき輝きを見せてくれている。

彼は「背中と口」で後輩の指導にあたる。
まず自らのプレーをすることで「背中」で,
それで伝わらない部分は「口」で。

176センチの身長はプロ野球の世界では
「リトルリーグ」とからかわれるほど小さい。
しかし,その経験を背景にしたアドバイスは,
決して彼を小さい選手には見せない。
日本チームの星野監督をして,
「慎也は,国際試合でのキャプテンの役割を
よく分かっている」と言わしめるほど
頼りになる存在なのだ。

その宮本にプロ魂を植え付けてくれたのは,
当時ヤクルトの監督だった野村だったという。
(ここに縁を感じるなあ)
先の「二流の一流」という言葉も,
野村氏から言われた言葉らしい。

プロだから努力するのは当たり前。
「二流の一流」になるためには,
さらにそれ以上の努力をすることだ。
若い選手へのアドバイスは,
宮本自身が学んできたことを
次代へ引き継ぎたいという情熱に
あふれているように思った。

今回の「宮本慎也」特集は,
先週「カウラ捕虜収容所」の
番組のために見られなかったものを,
15日深夜の再放送で録画して
先ほど見た感想である。
NHK,どうもありがとう!
(7/15)

『情報は1冊のノートにまとめなさい』

奥野宣之著,Nanaブックス,
1300円+税の上記の本を読んだ。

もともとアナログ人間の私は,
デジタル的な道具を活用しつつ
どこか心にすきま風が吹くような空しさに
襲われることを感じていた。
その空しさを埋めてくれる感じがしたのが,
この一冊だ。

A6ノートに時系列で記入していき,
それをパソコンに処理させ再活用していく。
アナログの楽しさとデジタルな便利さの
合体とでも言ったらいいだろうか。
私もこれからA6ノートを買って
実践してみようかと思っている。

デシタルだとどうしても
その機械の枠内のことしかできなくなるが,
アナログだとその部分の自由がきく。
両者のいい所取りみたいで,
なんだかいい感じだ。

著者は業界紙の記者で,
自らの経験からこの方法を
編み出したと書いていた。
(7/15)

2008年7月14日 (月)

県大会へ向けての練習試合(2)

昨日はまたも卒業生たちが来てくれて,
(自称・向陽オールスターズ)
練習試合を行なうことができた。

0対6(20ー25,19ー25,19ー25,
9ー25,10ー25,24ー26)

スタミナと集中力が切れた
第4,5セット目には低得点だったが,
その他のセットではかなり取れた。
特に第6セットにはジュースまで持ち込み
卒業生たちをして「あわや!」と
思わせる成果があった。

こうゆう卒業生たちの協力があると,
顧問としては大変助かる。
他校との試合も刺激になるが,
今までお世話になっていた
6人の先輩たちのアドバイスは
これに勝るものがあるからだ。

また,Sさんには休日返上で
この日も付き合っていただいた。
ありがとうございました!
(7/14)

朝バナナダイエット・その後

10日ほど前から暑くなってきて,
ダイエットには助かっている。

私はもともと運動が好きな方ではないので,
「生きていること自体が運動になる」という
現在の汗のかきやすい気候は
ダイエット向きなのである。
(好きではないが)

しかも,今年は4月から
朝バナナダイエットに取り組み
「一皮むけている」ので,
意外と暑さにも耐えられる。

一方職員室でもメタボ対策として
朝バナナダイエットを利用しようという
先生方も出てきつつある。
ここで先輩(?)としては
ひと言アドバイスしたいところである。

しかし,マイナス3キロまでは
順調に下がっていたものの,
それ以降は遅々たる歩み。
もう一度気を引きしめて
夏休みを乗り切っていきたい。

どうもマイナス3キロが私にとって
第1関門で,それ以降は
第2次の作戦を立てなければ
いけないような気がしている。

どなたか,楽にできて
自然にダイエットができる方法を
ご存知の方がいらっしゃいましたら,
アドバイスお願いしますね。
とはいっても,朝バナナダイエット以上に
簡単なダイエット法はなかなかないのが,
これまでの私の経験からいっても
現状なのではありますが・・・。
(7/14)

2008年7月13日 (日)

県大会へ向けての練習試合(1)

昨日は縁のある所沢高校にお邪魔して,
合同練習&練習試合をしてきた。

1対5(20ー25,8ー25,14ー25,
24ー26,25ー19,16ー25)

結成1か月の新チームとはいえ,
さすがに高校のバレー部。
簡単にはセットを取らせてもらえなかったが,
変化のある攻撃が有効なことや
前半の無駄な失点をしないことが
試合を有利に進めることを確認できて
大いに収穫を感じて帰ってきた。

顧問の先生やコーチを始めとした
所沢高校の選手たち,マネージャーさんに
感謝いたします。
ありがとうございました!

また,保護者のSさんに来ていただき,
いろいろとご指導いただきました。
今後ともよろしくお願いいたします。
(7/13)

所さんの目がテン!「三宅島」

今朝の番組を見て,
三宅島の現状を知った。

三宅島といえば伊豆七島の1つで,
古代から噴火があり,
特に近年では20年ごとに起こっている。
2000年の噴火では4年間島民が避難し,
帰島後の今も常時ガスマスクは
手放せないようだが,
ようやく日常生活を取り戻しつつある。

2年前私は房総半島から
三宅島を遠望したのだが,
その時上げていた噴煙は
今も続いているとのこと。

何しろ火山ガスの二酸化硫黄が雨と合体し
酸性雨として降るのだから,
火口付近の植物は立ち枯れ,
放置された車はボディーが腐食して
プラスチックとゴムだけの
何ともいえない物体になっていた。
「どこから噴火してもおかしくない」という
火山島に住む苦労が偲(しの)ばれた。
(現在3000人近くが住む)

私は伊豆諸島では大島しか
行ったことがないが,
機会があればぜひ三宅島にも
行ってみたいと思った。

番組では最後に,
島の名物である天草(ところてんの原料)と,
危機管理の良さと,
スキューバーダイビングのメッカ
であることをアピールしてフォローしていた。
(7/13)

聖望学園も姿を消す

今春の選抜大会準優勝校である
聖望学園が2回戦で早くも姿を消した。

聖望4022000000計8
大井0114101001計9

先制したもののエース大塚が
そのリードを守れず,
延長10回でサヨナラ負けを喫した。

今年の夏の大会には
またも驚かせられた。
(7/13)

2008年7月12日 (土)

おしゃれなイタリア料理店

昨日は林間学校の慰労会ということで,
所沢プロぺ通りの
おしゃれなイタリア料理店に行った。
(「モア・クッチーナ」という店名。
覚え方は「もっと喰っちゃいな」笑)

このお店,ビルの3階にあって
わかりにくく,
過半数の参加者が
その前を通り過ぎたのだが,
口コミの根強い人気があり,
特に女性にウケていて
リピーターが多いとのことだ。

前菜,温野菜,ピザ,スパゲティーなども
それぞれ工夫がされていて楽しめた。
そして何より「飲み放題」というのが
私には助かった。
(私は生ビールと赤ワインをいただいた)
代金を気にしながら飲むのは
肩身の狭いことなのでね。

おかげで林間学校の話題も
楽しいものにすることができた。

いい店を知ることができて良かった。
何かの際はまたこのイタリア料理店を
利用しようと思った。
(7/12)

所沢商まさかの初戦敗退

私の夏休みの楽しみの1つ=
所沢商の応援が早くも消えた。
まさかの初戦敗退である。

狭山経済010300103計8
所沢商業010201201計7

2回戦は地元・所沢球場なので
楽しみにしていたのだが・・・。
初戦には魔物が住むのだろうか。
2年前も好投手を擁(よう)しながら,
やはり初戦でまさかの敗退だった。

1回戦を終わったところで,
地元勢は所沢,所沢北,所沢中央が
残っている。(所沢西と所沢商が敗退)
この際切り換えて,
残った3校の応援に回ろうか。
(7/12)

2008年7月11日 (金)

脳ダコ

理化学研究会の「脳ダコ仮説」の話が,
朝日新聞の朝刊に出ていた。

将棋の棋士の脳は
他の人以上に強化されて,
「脳ダコ」のようなものができるのだという。
(指先に「ペンダコ」ができるように)

これは将棋の棋士に限らず,
「熟練工」と呼ばれる人にも
当てはまりそうな気がする。

かくいう私も1つだけある。
だいたい40枚の更紙を
指でつかむという特技である。
学校・学級では40枚という単位で
更紙を使うことが多いので,
26年間の教員生活で
いつのまにかできるようになった。
後で数えて40枚ピッタリだということもあり,
一種の「脳ダコ」かなと思う。

あなたには何か「脳ダコ」がありますか?
ぜひ紹介していただければと思います。
(7/11)

料理写真家・肥さん

お気に入りの居酒屋・肴やに
様々な料理の写真が貼られている。

これらはほとんど私が注文した料理を
食べる前に撮影したものだ。
(最初は麺類から始め,その後ご飯ものや
一品料理にも手を出した)

遊びで始めたことだが,
今はけっこう本気で撮影している。
昨日は牛焼ライスを撮った。

色合いまで気にして作られている
料理が多いので,
ピントはもちろんだが
見た目も美しく撮りたい。

いい作品が撮れた日には,
帰る足取りも軽い。
(もちろんアルコールのせいもあるが)

マスターの「クマちゃん」とは
もう20年来のお付き合いを
させていただいている。
少しでもお店のお役に立てれば
うれしいと思って撮っている。
(7/11)

2008年7月10日 (木)

今日から三者面談

今日から三者面談が始まる。
これから来週にかけて5日間で37人を行う。
私のやり方を紹介しよう。

(1) まず生徒本人からしゃべってもらう。

生活面,学習面,部活面を
それぞれ100点満点で自己評価し,
なぜその点数になるのか
その理由を言ってもらう。
あと「何をがんばれれば,
100点になる」のかも。

(2) 次に保護者から意見をいただく

生徒の自己評価に対して
どう思ったかを言っていただく。
生徒と同じ場合もあれば,
まったく違う場合もある。
要するに(1)と(2)で生徒と保護者の
考え方を調査するわけなのである。

(3) 最後に担任から話をする

生徒と保護者の考えをふまえて
担任から情報提供・アドバイスをする。
どんな素晴らしいアドバイスも
相手にとって受け入れ難いものでは
どうしようもない。
そこで,(1)と(2)が大切になってくる。

大事なのは夏休みを迎える生徒の
これからの時間の過ごし方なので,
できるだけそれに沿った形にするよう
私としては考えてやっている。

タイミングによって定期試験や
実力テストの結果を見せることもある。
担任はこう思っているという話より,
「事実はこうだ」という方が
説得力があるのは言うまでもない。
これはまあ,個人によっても
変わるけれど・・・。

三者面談が終われば,
夏休みも目前だ。
今年ほど夏休みが待ち遠しい年は
久しぶりだ。
(7/10)

ブログについての調査

朝日新聞の朝刊に載っていた記事。

総務省が調べた(推計した)ところ,
現在国内のインターネット上で
公開されているブログは,
ひと月に1回以上更新されているもので
約300万件あるという。

これは全体の約3割で,
毎月40万~50万件のブログが
新設されているということである。

その結果合計1690万件のブログが
日本にあることになるが,
その記事総数もすごくて,
約13億5000万件=単行本にして
約2700万冊分のデータというから
本当に驚きだ。

みんな,何かを書きたいんだなあ。
私もそうだけれど・・・。

ちなみに,ブログを開いた理由は
以下のようだという。

「自己表現型」・・・30.9%
「情報交換型」・・・25.7%
「趣味に関するもの」・・・25.0%
「収益目的型」・・・10.1%
「社会貢献型」・・・8.4%

あなたはどれに当たりますか?
私は上の3つのミックス型でしょうか。
(7/10)

2008年7月 9日 (水)

今月の手品・2008年7月

今月は前に手に入れていた
(仮説社フェアのプレゼントだったかな?)
「不思議な赤い箱」。

プラスチックの赤い箱に右側に
引き出しがついているのを引っ張り出し,
「タネも仕掛けもありません」と言って,
まず中に何も入っていないことを見せる。

「では,これに魔法をかけます。
えいっ!」と言って,
その箱を180度横に回転させて,
左側に引き出しを移動して
それを引っ張り出す。

すると,あーら不思議。
何もないはずの箱の中から
かわいい鳥と花が登場。
しかもその鳥は I C が働いて
「ピーチク,パーチク」と
さわやかに鳴くのでありました。

梅雨のうっとうしい日々には
うってつけの手品である。
ぜひ仮説社に問い合わせて
手に入れるといいと思う。

ちなみにこの仕掛けは,
おそらく昔からあったであろう
伝統的な箱細工で,
片方からは中身が見えず
もう片方からは見えるという
職人芸的なものである。

この仕組みがわかったら,
生徒たちと作ることができる。
「切れ味」のあるとても楽しい工作に
なるのではないかと私は思っている。
(7/9)

社会科サークル2008年7月例会

昨日は上記の会で
私がレポーターだった。

題名は「3年ぶりの
〈いろいろな種〉の標本づくり」。
先月授業でやったものを報告した。
(相方のU先生もやってくれている)

7月は例年忙しく,疲れも出て
参加者が少ないのだが,
昨日もその例に漏れず
4名の参加だった。

しかし,少人数でかえって話しやすく
良い面もあった。
1学期前半の忙しさのグチも
だいぶ聞いていただけて
心が少し軽くなった。

この実践には少なからぬお金がかかる。
それでも3年に1度(在学中に)
生徒たちにやってあげたくなる
内容だと思うので,
ぜひご検討いただきたい。
社会科のほか,理科や総合で
活用できると思う。
1988年に発案してから
今年で「20周年記念」の報告だった。

ちなみに竹内徹也さんが扱ってくれている
教材セットの値段を書いておこう。

「〈いろいろな種〉20種類×50人分」
1500円
「見本シート」
300円(6班分必要である)

中学では「見本シート」が何クラスでも
利用できるので,割安となる。
(7/9)

除草作業と専門委員会

昨日は授業を特日課(45分間)にして,
6時間授業の日なのに
上記の2つの行事が行われた。
(昨日は清掃もカット)

除草作業は20分間。
駐車場の陰もあって,
サボリーマンたちを叱咤しながらの
忙しい作業となった。
本当はのんびりやりたいのだが,
「先生のクラスの男子がサボってますよ」
なんて親切にも教えてくれる先生がいて。

専門委員会も20分間。
9月からの花檀の水やり当番決め。
主担当の先生が出張で
私が代わりに出席した。
代休で休みになる日が多い月曜日に
人気が集中すると思ったら,
そうでもなかった。
水をやる時間帯が昼休みだからだろうか。
(7/9)

2008年7月 8日 (火)

「カウラ捕虜収容所」の番組

太平洋戦争のさなか,
オーストラリアのカウラ捕虜収容所
で起こった日本人捕虜脱走事件。
(多くの犠牲者を出すことになった)

そこには,「捕虜になるくらいなら,
死を選ぶべきだ」との
日本軍の教えが背景にあった。

私はこの事件のことを
仮説実験授業研究会の会員の方の
(確か北海道の丸山秀一さんだと思った)
授業プランで知ったのだが,
『たの授』の公開編集会議の席で読んで
すごく考えさせられ,
授業にもかけたいとも思っていたので,
映像が手に入るのはとてもうれしい。

日本テレビで今夜9時からの放送予定。
題名は「あの日,僕らの命はトイレット
ペーパーよりも軽かった」だ。

同時間帯でNHKが「プロフェッショナル」を
放送(ヤクルトの宮本選手の話)するので,
それがカブってしまうのが残念。
だが,そちらは再放送を期待して
カウラ捕虜収容所の方を録画したい。
(7/8)

「大宝建元」の論理

大宝という年号がある。
これは701年に大和勢力によって
建元(初めて年号を建てる時の言い方。
以降は改元)されたものだ。
教科書にも出てくる有名な年号である。
正史としては「続日本紀」に出てくる。

では,それ以前の大化・白雉・朱鳥の
3つの年号はどうだろうか。
こちらは「日本書紀」に出てくる。

大化・・・改元と書いてある
白雉・・・改元と書いてある
朱鳥・・・「日本書紀」の流れから改元

つまり,大宝より古いとされる3つの年号で,
大和が建元したと主張しているものは
1つもないことになる。
では,それ以前にどこの勢力が
建元したのだろうか。

古田史学に学び
九州王朝の存在を知っていれば,
この謎はすぐに解ける。
6世紀前半から九州王朝が
約200年にわたって連綿と続けてきた
九州年号の存在だ。

大和勢力は7世紀後半に
政権奪取を(禅譲にせよ)した後,
歴史に改ざんを加え,
「日本書紀」という正史の中で
年号についてもその順番や位置を操作した。
しかし,大和勢力をしても
「建元した」という嘘をつくことは
(当時生きている人にとっては
バレバレのことなので)
できなかったのではないか。

この話は,「新古代学の扉」というサイトの
人気コーナー「古賀事務局長の
洛中洛外日記」の最新話として,
上記の題名で紹介されているものだ。
くわしくはそちらを見ていただきたい。
(7/8)

2008年7月 7日 (月)

電池電車

朝日新聞の朝刊に
「電池電車」の話題が出ていた。

「電気自動車は実用段階」
ということらしいが,
こちらもそれに近く,
JR東日本の長野ー篠ノ井間では
実際に走らせているとのことである。

架線が要らないから
工事費や点検費も浮くし,
景観もスッキリ。
また,排ガスを出さないので
地球温暖化防止にも良い。

課題は電池の重量や価格だそうだ。
今のままではとても重く,
価格も高いらしい。
しかし,それらを解決して
エコ電車が走る日を待ちたいと思う。
今日7月7日は願い事をする七夕でもあり,
洞爺湖サミットのスタートする日でもある。

未来は遠くにあるものではなく,
現在のすぐ地続きにあるものと考えたい。
(7/7)

「九死に一生」を教材に

私が道徳や学活でよく使うビデオに
「九死に一生」というものがある。
迫力があり中学生たちにも好評である。
(その反面,先生たちにはその存在は
あまり知られていない)

最近はなかなか放送されないのだが,
人間の命に関わるような事故を
市民の協力や救命士の活躍などで救う
事実にもとづくストーリーだ。

ちょうど現在救命士をやっていらっしゃる
I さん(中学社会の教員志望)が
メールを下さったので,
この「九死に一生」を「お話」や「授業プラン」に
できないかというお願いをしてみた。

もちろん映像を文字にすることの
難しさはあると思うが,
やってみる価値はあるのではないかと思う。
興味のある方はぜひご協力願います。
ビデオもお貸しします。
(7/7)

2008年7月 6日 (日)

ようやく県大会出場を決める!

6月6日に学総体で顧問をしている
男子バレー部が上山口中(前顧問が
現在顧問をしている)に敗れ,
「即・県大会出場」の権利を逃して以来
苦節1ヶ月!。

本来なら部活動のない日にも
特別練習を許可していただくなどして,
ようやく県大会出場を決めることができた。

「チャンスを逃すとどんなことになるか」
また「勝負とはどういうものか」を
ほろ苦く味わったひと月でもあった。

林間学校の疲れた体に鞭(むち)打って
昨日飯能市民体育館で行われた
地区代表決定戦の結果を報告する。

対美杉台中戦 2対0(25ー12,25ー10)

このたった1行を書くために,
1ヶ月がかかってしまった。
そのことを忘れずに
県大会では1戦1戦を
大切に戦ってほしい。

特に,3年生にとっては「最後の夏」。
ぜひ「サイコーの夏」にしてほしい。

例年だと県大会は夏休みに入って
すぐの頃(昨年は7月25日)にある。
まずは疲れを取り,体調を整えてから
県大会へ向けての練習に臨みたい。

これまで応援していただいた
生徒,先生,保護者の方々。
そして,末筆ながら
このブログの読者の皆様に
感謝いたします。
ありがとうございました!
(7/6)

教員採用試験の思い出

この週末,関東地方では
いっせいに教員採用試験が
行われているようだ。

かくいう私も今から26年前に受験し,
何とか(見事に!とは言えない)合格した。

私は5分間の「なわとび」で3回ひっかかって,
その列で一番早く座らされた。
予定ではメンバー中半分以上の順位を
確保する予定だったのだが・・・。
しかし,それでも合格したところをみると,
少なくとも社会科ではあまり「なわとび」は
重視されていなかったようだ。
(他にマット運動と鉄棒があった)

頼りの専門教養では
「世界地図を描け」という問題が
予想通り出題され(数年に1回出る),
それは満点が取れたと思った。

当時の面接での質問で覚えているのは,
「低学力の生徒に対してどう指導しますか?」
というのと,
「校内暴力の学校に赴任したらどうしますか?」
(当時はそういう時代だった)というものだった。

いずれもどう答えたかはよく覚えていないが,
現場でさえ苦労している訳だから
生意気なことはいわず,
一生懸命答えようと思ってしゃべった。

26年前の「昔話」である。
(7/6)

2008年7月 5日 (土)

「晴れ×3」の林間学校

昨日まで2泊3日で菅平高原に
林間学校に行ってきた。

3日間とも晴れ(梅雨時なので
1日ぐらいは雨に遭うのが通例)の
好天に恵まれた林間学校だった。
(幸いなことに雨は初日の夜と
2日目の夜に降ってくれたのだった!)

その3日間ををかんたんに
振り返ってみよう。

【7月2日(水)】

飯ごう炊さん~

42班分のかまどと調理台が完備し
作業は比較的やりやすかった。
しかし,カレーライスなど5種類の材料を
ホテル側が整えるのに時間がかかった。
また,かまどの位置がやや高く
火が届きにくかったので,
調理には時間がかかってしまった。
後片付けにも手間取り,
お風呂の時間が短めになった。

キャンプファイア~

クラス別のスタンツ(出し物)の
レベルが高くてびっくりした。
フォークダンスや花火も盛り上がった。

【7月3日(木)】

農山村体験~

お隣の真田町が主催している
農山村体験行事「ほっとステイさなだ」
に協力していただき,
農家の人たちと半日過ごした。
班ごとに1軒(ということは合計42軒)
が割り当てられるので,
けっこう準備は大変だが,
(プロフィールの紹介なども事前にする)
農作業のお手伝いをしたり,
お昼ごはんをいっしょに食べたりして
直接の交流ができてよかった。
帰りにバスの中で展開された
班ごとの「自慢合戦」が微笑ましかった。

レク大会~

時間の都合で○×クイズと
ぞうきんがけ競争しかできなかったが,
それなりに盛り上がった。
○×クイズでは,×の時には
理由を言ってくれるとさらによかった。
(学びが入ると思うので)
ぞうきんがけ競争では,
7クラス中2位になった。
日頃よく掃除をしているから?
この日は風呂もゆっくり入れた。

【7月4日(金)】

菅平湿原ハイキング~

雨中の強行軍を覚悟していたら,
天気がよくてとても助かった。
夜の雨で心配したが,
木道も乾いてくれて歩きやすかった。
時間内に全班がゴールインして,
昼食のおにぎりときのこ汁を食べた。
(7/5)

2008年7月 2日 (水)

夏バテ?

昨日は開校記念日で休みだった。
しかし,生徒は休みでも教員は勤務日で,
今年度から年休をとって休むことになった。
(私は林間学校の準備のため出勤)

朝から学校に行こうと思っていたが,
何だか体が重く調子が出ない。
似たような症状で言うと
夏バテの時に似ていた。
(これが開校記念日で本当に良かった。
林間学校1日目ならみんなに迷惑が
かかっていたところだった)

午前11時にようやく出勤。
動かない体と働かない頭で,
林間学校の準備をやってきた。
(主に帰ってきてからのまとめプリントと
林間新聞の用意等)

これらは本来前日までに
終わらせておけばよかったのだが,
心身ともに疲れていたので
昨日に回されたのだった。

昨晩は早く寝て今朝は4時半に起きた。
睡眠をとった分体が楽になった。
(7/2)

「浮沈子」を手品に

6月の「今月の手品」(球と椀)が
1組では終わっていなかった。
というのは,椀がスチロールで軽いので,
手品がしにくかったからである。
(今プラスチックのものを探し中。
見つかったら再チャレンジしたい)

そこで,前から知っていた夏の定番
「浮沈子」をやってみせることにした。
6月30日のことである。
(肥さんは「約束を守る男」なのだ)

炭酸系のペットボトルに水を満たし,
その中にナットを付けた醤油入れ
(片方は半分ほど水を入れて青く塗り,
もう片方はそれより少なく水を入れ赤く塗る)
ふたをしっかり締める。

ペットボトルの胴部分を強く握ると,
まず青く塗った方が沈んできて,
さらに強く握ると赤く塗った方も沈んでくる。
いわば浮力を使ってやる科学おもちゃで,
生徒たちに聞いたら5人ほどしか知らなかった。

これを芝居仕立てでやると,
「さあ,青ちゃん。いい子だから降りておいで」
「さあ,赤ちゃん。今度は君の番だよ」
となるのだ。
そして,生徒たちが驚いている間に,
「さあ,赤ちゃん。上がっておいで」
「次に,青ちゃん。上がっておいで」
とやって,元の位置に戻すという訳。

人数分買ってあるので,
夏休み前に学活でやってみたいと思う。
ただし,生徒たちには炭酸用ペットボトルを
用意させておくことが必要だ。
普通のお茶用のものでは
圧力がうまく伝わらずうまくいかない。
(7/2)

2008年7月 1日 (火)

3年ぶりに〈いろいろな種〉の標本づくり

昨日社会科サークルの
Oさんから電話があって,
「7月例会のレポート名は何にしますか?」
と聞かれた。

ここ数ヶ月忙しくしていたので,
すっかり忘れていたが,
4月に決めた年間スケジュールで
私は7月のレポーターだったのだ。

ここ数ヶ月の実践を思い出しながら,
(といっても,大したことはしてきていないが)
最終的に上記の題でいくことにした。

これは板倉・吉村作の授業書《たねと発芽》から,
「種の標本づくり」の1時間をいただいて,
社会科でもたのしめるようにしたものである。
(米,麦類,豆類,綿,菜種など20種類を
シートに貼り付けて名前当てをする)
私は江戸時代の農業のところでやっているが,
地理や理科,総合でやることもできると思う。

一応私が発案者ではあるが,
高校社会の竹内徹也さんに
グレードアップしていただいて
かなりのお奨めの授業プランになった。

竹内さんには種やシートの販売もしていただき,
本当に感謝してもしきれない。
今年は発案から20周年(1988年発案)の
年にあたる。
そういう意味でも縁のある実践だ。
(7/1)

林間学校の最終打ち合わせ

昨日教頭,養護,助っ人の先生をはじめ
旅行会社,写真屋を含めた15人で
林間学校の最終打ち合わせをした。

行く前に詰められるところは詰めたいが,
下見で見てこられなかったハイキングに
大きく悔いを残した。

しかし,泣いても笑っても
明日からは体力勝負の2泊3日。
無事に帰ってきて成果を報告したい。
(7/1)

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