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2008年6月27日 (金)

古代の通貨

「百銭百話ー日本編ー」というサイトを
見つけることができた。
(「古和銅」で検索した。
和同開珎には形式の違うものが
あることが知られている)

このサイトには,
古代の通貨が写真入りで出ている。
抄録してみよう。

銭名・・・・・・時代・・・・・・年号・・・・・・発行者

無文銀銭 不明     不明    不明

富本銭   飛鳥    683?   天武?

古和同   白鳳    708か   元明?
(銅)            それ以前

古和同   白鳳    708か   元明?
(銀)            それ以前

和同開珎 和銅     708    元明

開基勝宝 天平宝字  760    孝謙
(金)

太平元宝 天平宝字  760    孝謙
(銀)

万年通宝 天平宝字  760    孝謙
(銅)

古事記・日本書紀に和同開珎の名がないことは,
あまり知られていない。
「銀銭」「銅銭」とだけあって,
読者が勝手に大和の作った
和同開珎のことだと「想像」している。
(当時の人は何を意味するか
自明だったと思うが)

こうして並べてみると,
大和の通貨製作が完全な形を取るのは
760年の金・銀・銅貨のトリプル以降で,
それまでは九州王朝の作った無文銀銭と
古和銅が使われており,
(政権奪取後の)新和銅に至って
やっとある程度の流通が
見られたように思われる。

ただ,760年の「金・銀・銅貨のトリプル」は
現存枚数がほとんどなく,
金貨35枚・銀貨0枚(拓本2枚)ということで
単なる「記念硬貨」という感じもした。

万年通宝が日本初の歴史書に銭名のある
銅銭だそうだ。
一方,和同開珎は由来を明らかに
していないという点でも,
「出生の秘密」を私は感じるのである。
(6/27)

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

「貨幣よもやま話」第7回によると,
「「古和銅開ちん」タイプは銀と銅があり
字体5種ある、字体稚拙、
材質も脆い欠点があった」
とのことです。

また,金融研究会「日本の貨幣・
金融史を考える 」によると,
「例えば古和銅は純銅に近い成分を示す.
一方、ハネ和銅(「和」の字の第3画の
トメなどがはねているもの)は、
他の和同. 開珎と比べ鉛の混入割合が高い」
とのこと。

以上の2つのサイトの見解を総合すると,
以下のようなことが
言えるのではないでしょうか。

古和同・・・鋳上がり,脆さはいまいちだが,
ほぼ純銅(価値が高い)。

新和同・・・鋳上がりはよく脆くないが,
銅の比率が減っている(価値が低い)。

まず無文銀銭が九州王朝によって発行されていた。
ところが白村江の敗戦で発行できなくなり,
それに代わって古和同(銀銭)発行することになった。
古和同(銅銭)は古和同(銀銭)の補助貨幣として
九州王朝が発行したもの。
ところが,古和同(銀銭)は無文銀銭に比べて
あまりにも銀の量が少なくインフレを招いた?
新和同は(政権奪取後)大和勢力が発行したもの。
こんな仮説は成り立つでしょうか。

 肥さんが古和銅銀銭は白村江の敗戦によって無紋銀銭を発行できなくなった代わりのものと考えた理由はなんですかね。北九州は銀山(対馬やその他)がありますから、無紋銀銭の原料は輸入ではないと思います。
 また大和王朝が銀銭を発行したのちに銅銭をはっこうしたことは確かですから、和銅銀銭は大和王朝のものだと思います。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。
唐の占領により,国家機構が押えられて
銀を多く使うことができなくなるのではないか
と考えました。
また,古和銅銀銭と古和銅銅銭の字体が
似ている(「開」の門構えのところが普通の形)のに対し,
新和銅銅銭だけは違う(「門構え」の内側が
一部開いている)ので,
異質なもの(製作者が違うのでは?)を感じます。

「中国」「南朝」「貨幣」の3つで
検索したところ,
古田史学会報がヒットしました。
(1999年 6月3日 No.32 )

ここには,古田武彦氏講演会(四月十七日) 抄録(文責 編集部)が出ています。

「二つの確証について
--九州王朝の貨幣と正倉院文書--

貨幣史に関する私の研究課題を挙げておく。

1). 富本銭の文字中、「本」字は、
夲(大と十:とう)である。
日本を富ませるの意味だという説がある。

2). 和同開珎、この名前の貨幣を作ったと
『続紀』は書いてない。
隠す理由があったのか?

3). 開寳か開珎(ちん)か論争があった。
栄原氏により「ちん」だと論証された。
当時、開元通宝は知られていた。
唐と同じ字を使いたくないのだ。
この姿勢は大和のものか九州か?

4). 鋳銭司という役所。
最も永続し、中心だったのは長門にあった。
何故か?
九州王朝が最初に作ったからではないか?

5). 周船寺、九州の古い地名。
読み方はスセンジだ。ここも鋳銭司か?

6). 江戸時代の絵銭として作られた富本銭は
中心星を五星が囲む「梅が枝」紋
(天満宮の紋)で、
飛鳥出土品は七曜紋。写し誤り説には疑問。

7). 長野出土の富本銭。
飛鳥のものより文字がシャープに見える。
両者の先後関係は?

8). 銀と銅の問題。中国貨幣はもっぱら銅銭。
九州王朝は中国南朝の銅銭は受入れ、
北朝のものは拒否したろう。
南朝滅亡後は、天子を称して自前の貨幣を
作る必然性がある。
しかし銅銭では中国銭に負ける。
品位の高い銀銭を作ったが、
中国側から見ればこれは目の上のタンコブ。
九州王朝をつぶした後は、
則天武后は天武に銀銭をやめ
銅銭にさせたのではないか。
その後の皇朝十二銭も流通させるのに悪戦苦闘、結局使われたのは中国銅銭ばかりだった。
だから江戸時代には大判・小判=
金銀貨ばかり作った。
これなら中国銅銭に負けずに生きて行けた。
今後、日本でドルしか使われなくなった
としても私は驚かない。
(於大阪北市民教養ルーム 水野孝夫要約)」

富本銭が発掘された当時の
古田氏の講演会と思われます。

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