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2008年4月24日 (木)

古事記と日本書紀

昨夜は大失敗。
NHK「その時歴史は動いた」の
古事記の特集番組を見ようとしたら
パソコンの前でうとうとしてしまい,
気が付いたら終わりのテロップが
流れているところだった。

中身は見ていないので
それについてのコメントはしないが,
古事記と日本書紀の理解は
古田史学に学んで
以下のようだと考えている。

「両者は,ともに天を戴(いただ)くことが
できない存在である」ということ。

どういうことかというと,
古事記が存在すれば日本書紀の邪魔になり,
現行の歴史教科書のような併記は
ありえないということだ。
それを近畿天皇家(大和政権)の立場から
考えてみると・・・。

白村江の戦いに参加せず
(唐と密約があった模様)
ダメージをまったく受けなかった大和は,
その後日本の代表となる。
大和のことを中心に
書かれていた書が古事記だ。
途中に九州王朝系の一族の悪口が
書かれていたりして,
いかにも「日本の代表」ではない体裁。

ところが日本書紀ではその部分は削られ,
いかにも昔から「大和が日本の代表」で
あったかのような体裁なのだ。

ではその間(712年の古事記と
720年の日本書紀)に
どんなことがあったのか。

続日本紀によると,武器と書類を持って
「山沢亡命」した人々のことが書かれている。
(九州王朝系の人々だろう)
彼らがやがて逮捕されたか自首してきたかして
もたらされた書類をミックスして
再構築されたのが日本書紀なのである。

日本書紀を純粋な歴史書と思ってはならない。
(それを下敷きにした現行の歴史教科書も)
それらには「日本の代表は昔から大和だ」
という暗黙の主張がされているのだ。

だから最初に戻るが,
その「日本の代表は大和」
の主張のない古事記と
それをしている日本書紀では
根本的に矛盾するのだ。

それを知っていたからこそ,
日本書紀の完成後は
古事記は公式の文書ではなくなり,
闇に葬られることになる。
しかし幸い愛好者?によって保存されて
鎌倉時代に発見され,
その存在が知られることになる。
「陽の目を見てはならない書」が
「陽の目を見て」しまったのだ。

しかし,古事記は偽書だという説は
あったにせよ,
両者が古代の多元的な構図を
明らかにする書たちだとは
なかなか気が付かれなかった。
古田武彦氏の研究が
その分野のパイオニアとして
登場するまでは・・・。

このあたりのことは,
古田氏の『盗まれた神話』(朝日文庫)等を
お読みいただけると
「目からウロコ」だと思います。
ぜひお読み下さいね。
(4/24)

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

こんにちは。

NHKの件の番組を見ました。
この番組で、古代史関係は久しぶりなので見ましたが、案の定、俗に言う定説以前の代物でした。
この番組に、古田説の反映を求めるのが無理なのですが、松平アナのもの言いにも、古色蒼然・・・

『諸家の持つ「帝紀」「本辞」~』などは、学問的好奇心・問いの入り口だと思うのですが、サッパリでした。

可笑しかったのが、
番組内で映像として、使われた物の一部が、何と、昭和3~40年代の東宝か東映かの映画の映像でした。「古事記」と言う、映画名だったと思いますが・・・
これは、わたしが、小学生か中学生かの時に学校で見た代物でした。
天の岩戸を開けるのが、「初代 朝潮関」だったと思います。

この手の番組で使われる資料が、あいまいなのも従来通りで、資料「真福寺本」にしても表紙などは、きれいな表装本で、また、引用される天皇などの肖像もいつの時代の物か、テロップもありません。

番組本体では、奈良・伊勢・鹿児島などの伝承地なども出てきましたが、一体どの様なコセプトで制作されたのかも???でした。

毎度のことですが、その内深夜に再放送されると思いますが、色々な意味での現状の反面教材にはなると思います。
。。。。。。。。。。。。。。。。。
最新刊の、「古代に真実を求めて」古田史学論集第11集(明石書房)が出ましたね。

では。

C13シロウズさんへ
コメントありがとうございました。
古事記についての番組というので
ちょっぴり期待していたのですが,
これではあまり期待できなさそうですね。
> 最新刊の、「古代に真実を求めて」
> 第11集(明石書房)が出ましたね。
こちらは刺激的ですごく楽しい。
さっそく今朝「「大長」という九州年号」
という題でブログに書きました。

私は記紀についての古田氏の指摘(この二書の出生について)を知り、深く考えた時期があります。
もちろん今もそれは続いていますが。

ところで関西に住む私にとって、日本書紀の神武紀は奇異に感じる部分が多くあります。
たとえば地名・人名にやたらと「読み」が記載されていること。
いちばん不思議なのは畝傍山について[畝傍山此云宇禰縻夜摩]とあることですね(漢字、表示されたかな?)。
大和三山にして神武が「天の下知ろしめ」したはずの橿原のお膝元にある山ですよ。
あ、逆か。偉大なる神山、畝傍山のお膝元にあるのが橿原だ(笑)
しかも日本書紀が編纂される前時代、天智が「香具山は 畝傍をおしと 耳成と・・・」と歌った、あの畝傍山なのに。
「あのぉ~、当時ヤマトに存在した王朝人たちで、畝傍山を知らない人がいたんですかぁ?」
とツッコミたくなります(笑)

したがって私はこう考えます。
「九州王朝」の史書の列伝に、大和を征服した英雄「ヤマトのイワレ彦」の活躍を記録した部分があったのだ、と。
その史書の読者たる「九州王朝の人たち」は遠くヤマトの地名なんか知らない。したがって登場する地名などに読みが付けられていた(当然でしょうね)。
近畿天皇家は日本書紀「神武紀」を編纂するに当たって自らに伝わる資料(古事記)を廃棄し、九州王朝より入手した史書(禁書?)を盗用した。

それ以外に納得できる理由がないのですが、どうでしょうか。

ツォータンさんへ
コメントありがとうございます。
> ところで関西に住む私にとって、
> 日本書紀の神武紀は奇異に感じる部分が
> 多くあります。
> たとえば地名・人名にやたらと
> 「読み」が記載されていること。
なるほど,これは地元・関西の人でこそ
奇異に感じることですね。
埼玉の私には「どうもご親切に」
という感じでしたが・・・。
考えてみると,素晴らしい傍証となります。
やはり,いろいろな地域にすんでいる人が
それぞれの知識や地の利を総動員して
古代史の謎解きをしていく必要がありますね。

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