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2008年2月11日 (月)

肥さんのHP&ブログ道場(4)

「2年間のメールマガジン発行」

7年前にパソコンを導入した頃,
お気に入りの居酒屋・楽家で
私は九想さん(サイト「九想庵」
の開設者)と出会った。

小説家を志す九想さんは
「九想話」というエッセイを書き,
毎日更新する楽しみと
読者と交流する楽しみを
教えて下さった。

パソコン上達には身近なアドバイザーの
存在が何よりである。
そこで私は,勝手に九想さんを
パソコンの師匠となってもらい,
多くの貴重なアドバイスを
いただくことができた。
「ありがとうございました!」

しかし,こちらは何といっても
実力不足の「アナログ3兄弟」の次男。
毎日更新するなんてことは
とてもできそうにないし,
第一知らない人に自分の文章が
読まれるというのも恥ずかしい。

ということで,ホームページの作成は
将来もしできたらということにして,
自分が今までやってきた通信の発行に
似ているメールマガジンを作ることにした。
これが「肥さんのメールマガジン」だ。

これは画面・紙面合わせて
50人ぐらいの読者を持ち,
ホームページ開設へ向けて
少なからぬ自信を持たせてくれた。
だいたい以下のような仕様だった。

「肥さんのホームページ」
サイズ・・・A4で4ページくらい
発行間隔・・・週刊(日曜発行)
発行期間・・・2001年9月~2003年8月
常設コーナー・・・
(1) 教育についてのあれこれ
(2) 古代史研究についてのあれこれ
(3) 読者のメールから
(4) 編集後記

今印刷したメールマガジンを
綴(と)じたファイルが4冊手元にある。
全部で100号分だ。
毎号だいたい4ページだったから,
合計A4で400枚。
今考えるとこれが私のホームページへの
実質的な「修業」ということになった。

「教育についてのあれこれ」では
主に仮説実験授業のことを,
「古代史研究についてのあれこれ」では
古田史学のことを話題にしていたのだから,
これをそのままホームページ版に
切り替えればいいのである。

第2期・最終50号の「編集後記」に
私はこんなことを書いている。
少し長くなるが引用させてほしい。

「メールマガジンの発行というのは,
実にスリリングで,楽しい体験でした。
日曜日の発行をめざして,
次の号は何を載せようかと考える・・・。
最初は何も書いていないメールマガジンの
「雛型」に,音声入力(8割)と
かな入力(2割)によって教育や古代史研究の
話題をどんどん入力していく・・・。
それはまるで,編集長になった気分でした。
メールマガジンはここでひとまず
お休みをいただきますが,
「編集長」の楽しみを知ってしまったこの私です。
いずれまた読者の皆さんの前に
登場することでしょう。
その節はまた,温かいご支援を
よろしくお願いいたします。
今まで本当にありがとうございました。
では,また会う日まで!」

そして,私は3ヶ月の準備期間をおいて,
ついにホームページ開設にこぎつける。
2003年12月のことであった。

明日は「念願のホームページ開設」を
書くことにします。
(2/11)

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「パソコン・インターネット」カテゴリの記事

コメント

パソコンを導入して文章を書くことが楽しくなたっという雰囲気、よくわかります。僕の場合は1984年のワープロ導入でした。まず3ヶ月タイピング練習を毎日やってブラインドタッチでできるようにした。お陰で頭に文章が沸いてくるのとほぼ同じスピードで文章が書ける。音声入力も同じですね。もともと文を書くのは好きですからどんどん書いてしまった。その結果ついに長編小説まで。1997年だったかな。図書室に来る生徒に何人も小説を書く者がいて(もちろんパソコン)小説コンクールをすることになり、僕もひと夏で原稿用紙400枚の小説を書いてしまった。「翔べ!カッパ!-水神のお告げ」。神戸の酒鬼薔薇事件がモデルです。(ご興味があれば僕のサイトに掲載してあるので読んでみてください)。
 それにしてもパソコン導入と同時にメールマガジン発行というのもすごいですね。1年間に50号。これも年間に100号を越える学級通信を書いてこられたからでしょうね。僕の場合は1年間の準備期間を経て、今までワープロで書き溜めた評論と実践記録と地域の歴史研究成果を掲載するために2000年3月にサイト「学校を変えよう」を開設し、そこに授業案から授業記録まで掲載しました。このときも読者からの掲示板への書き込みが大変楽しかった記憶があり、励まされました。
 パソコンがなければこんなことはできなかったし、本まで出版することにはなりませんでした。まさにパソコンが人生を変えたのかも。肥さんとの出会いもね。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。
川瀬さんはやはりブラインドタッチができるのですか?すごいなあ。だから小説なんかにもチャレンジできるんですね。私はかな入力のみ「大体タッチ」ができる程度です。それでも,今の私の生活ではじゅうぶんなので,これ以上速く打とうとは思いませんが・・・。当時メールマガジンが発行できたのは,音声入力のおかげでした。そして,ホームページからブログへ。そのたびに今まで知らなかった人とも出会うことができ,川瀬さんとも古田史学を通じてお近づきになることが出来ました。今考えると,本当にパソコンにはお世話になりました。

川瀬さんへ
ちょっと私が勘違いしていたので,
本文を訂正させていただきました。

発行期間・・・2001年9月~2002年8月
→2001年9月~2003年8月
全部で50号→全部で100号
合計A4で200枚→合計A4で400枚
最終50号→第2期・最終50号

2年分なので,2倍にしなければいけないのでした。すいません。

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