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2007年11月11日 (日)

古代史セミナー2007

昨日から1泊2日で八王子に行ってきた。
古田武彦氏による古代史セミナーに
出席するためである。

会場は,八王子の大学セミナーハウス。
今回で4回目となる。(ただし,私は初回は不参加)
日程は,以下のようだった。

【11月10日(土)】
午前・・・古事記・日本書紀の歴史批判
午後・・・南米の歴史批判,金印問題,質疑応答
夜・・・懇親会

【11月10日(日)】
午前・・・イーリアス問題,寛政原本の歴史批判
午後・・・八面大王の歴史批判,質疑応答

いつもながら周到な準備をされての講座に,
一同は驚き,知的刺激を受けるのだった。
また,これもいつもながらの大学セミナー側の
心温まるもてなしに感激した。

今回は例の金印が志賀島の発見ではなく,
他から(おそらく細石神社から)もたらされたもの
という金印問題の話に一番興味をひかれた。
事実は小説よりも奇なり!
いずれ本にまとめられるとのことだが,
1つひとつ証拠をあげてつめていく古田氏の姿に
学問に対するきびしさを感じた。

「寛政原本」の本はもう少しかかりそう。
その後も「寛政原本」の発見は続いており,
新発見のものを載せた『なかった』4号の方が
先に出てしまいそうだ。(2007年12月頃)

川瀬さんの本(『徹底検証「新しい歴史教科書」』
近世編1)の紹介パンフを,
今回も参加者に配ることができた。
また,何人かにHP&ブログのパンフを配ったので,
少しは読者が増えるかもしれない。

ただ,残念なことに今回のような
セミナーは今回限りで,
来年からは本を書くことに力を注ぎたいと
古田氏より話があった。

私も賛成だが,ここまで続いたセミナーを
まったくなしにしてしまうのはもったいないので,
古田氏の負担を極力減らす形で
何とか実施できないかと思う。
たとえば,博物館や遺跡探訪とからめて
講演会と懇親会をやるとか・・・。
(11/11)

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コメント

 今回も私の本を紹介していただきありがとうございます。本当にありがたいです。
 志賀の島の金印は細石神社からもたらされたという説は興味深いですね。この神社は九州王朝に先立つ王朝の聖地で九州王朝にとっても聖地ですから、そこに自身の統治の正統性を中国王朝が認めたしるしを奉納しておくのは自然なことですね。でもどうしてこれが志賀の島から出たことになったのでしょうね。初めて世に出した福岡藩の歴史の改竄かな?
 寛政原本次々と見つかっているのですね。出版が楽しみです。僕の本の近世編2の原稿の中の「学問の発達」(近世編25)に秋田孝季と和田長三郎が長崎の阿蘭陀人から進化論とビッグ・バンの講義を受けていたことを記しておきました。「東日流外三郡誌」は江戸時代における蘭学史や田沼時代政治史の書き換えをも迫るものです。蘭学の所や国学の所(2人が真実の歴史を求めて動いた背景に国学の発展があると思いますので)や田沼時代、そして西洋諸国の開国要求の個所でまた論及したいと思っています。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

> 志賀の島の金印は細石神社からもたらされたという説は興味深いですね。この神社は九州王朝に先立つ王朝の聖地で九州王朝にとっても聖地ですから、そこに自身の統治の正統性を中国王朝が認めたしるしを奉納しておくのは自然なことですね。でもどうしてこれが志賀の島から出たことになったのでしょうね。初めて世に出した福岡藩の
歴史の改竄かな?
(肥さん)何でも「黒田藩の武士が陰影だけ残して強奪していったようです。神主による証言もあります。それが売られて黒田藩に入り,入手のいきさつが「やばい」と思って「証拠」を捏造しようとした」というのが真相のようです。これらを指揮した津田某は22年間の蟄居生活を命じられて失脚します。

> 寛政原本次々と見つかっているのですね。出版が楽しみです。僕の本の近世編2の原稿の中の「学問の発達」(近世編25)に秋田孝季と和田長三郎が長崎の阿蘭陀人から進化論とビッグ・バンの講義を受けていたことを記しておきました。「東日流外三郡誌」は江戸時代における蘭学史や田沼時代政治史の書き換えをも迫るものです。蘭学の所や国学の所(2人が真実の歴史を求めて動いた背景に国学の発展があると思いますので)や田沼時代、そして西洋諸国の開国要求の個所でまた論及したいと思っています。
(肥さん)なるほど,そういう利用の仕方もあるのですね。何だか歴史学習がワクワク感じられますね。

なるほど。神社から強奪したので「発見」を捏造したのか。だけど本当にそれだけだったのだろうか。細石神社のことを知ればそれが「君が代」に関り、九州に大和天皇家以前の天皇家があったということに繋がることは江戸時代の儒学者なら当然気がついたと思うのですが。そして捏造された「発見」場所がなぜ志賀の島だったのか。
 詳しい経緯を知りたいです。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。
なぜ志賀島かというと,そこがこの金印事件の
画策者と思われる津田源次郎の管轄地だからです。
それも最初は違う2人の農民に頼もうとしてうまくいかず,
甚兵衛にあらためて頼んだりしているようです。庄屋も押印に二の足を踏む暴挙だったらしい。
また,30年前から「金印は三雲で出土したもの」と
市議会議長が言っているそうです。

 御教えありがとうございます。なるほど自分の管轄の島から出土したことにしたわけですか。この金印発見の状況の偽造の問題は早急に本にしてほしいですね。

川瀬さんへ
コメントありがとうございました。
古田氏も,「卑弥呼の本」とともに
「金印の本」を早急にまとめたいと
古代史セミナーの時言っていました。

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