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2007年8月 2日 (木)

阿久悠の歌と私の年齢

作詞家の阿久悠が,70歳で亡くなった。
私も阿久悠の多くの歌に親しんできた。
追悼の意味で,年度・曲名・歌手と
その時の私の年齢を書いておきたい。

1971年「また逢う日まで」尾崎紀世彦(13歳)
     「ピンポンパン体操」杉並児童合唱団

1972年「どうにもとまらない」山本リンダ(14歳)
     「せんせい」森昌子

1973年「ジョニーへの伝言」ペドロ&カプリシャス(15歳)
     「個人授業」フィンガー5
     「わたしの青い鳥」桜田淳子

1974年「ひまわり娘」伊藤咲子(16歳)
     「宇宙戦艦ヤマト」ささきいさお

1975年「ロマンス」岩崎宏美(17歳)
     「北の宿から」都はるみ

1976年「ペッパー警部」ピンク・レディー(18歳)
     「津軽海峡・冬景色」石川さゆり

1977年「勝手にしやがれ」沢田研二(19歳)
     「UFO」ピンク・レディー

1978年「林檎殺人事件」郷ひろみ・樹木希林(20歳)

1979年「舟唄」八代亜紀(21歳)

1980年「雨の慕情」八代亜紀(22歳)

1981年「もしもピアノが弾けたなら」西田敏行(23歳)

阿久悠は他にもたくさんの歌を作っているが,
私にとって最も歌を聴き,歌っていた頃,
こんなにも多くの曲の詞を作っていたのだと
あらためて思うのだった。
(8/2)

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