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2007年2月11日 (日)

私にとっての『「邪馬台国」はなかった』

私を古代史の世界に引きずり込んだのは,
多くの方も同じだと思うがこの本だった。
(1971年朝日新聞社刊。その後角川文庫。
さらに朝日文庫へ)
古代史三部作の第1冊目であり,
古田武彦氏自身の古代史研究の始めでもあった。

45歳の時高校教諭の職を辞し,
親鸞研究の実績にとどまることなく,
彼は古代史研究に没頭した。

原文改訂による誤読・誤解釈によって
「魏志」倭人伝のなかの邪馬壱(台ではない)国は
意味不明,位置不明の国とされてしまっていたが,
それを陳寿(「魏志」倭人伝の著者)を
とことん信じきることによって
ついに北九州に邪馬壱国を見出したのだった。
そして,その後発掘された考古出土物が
彼の論証の正しさを証明していった。
(「邪馬台国」とは後の名称で,
弥生時代の名称は邪馬壱国である)

この本は合計7つの章からなっている。

序章 私の方法
第1章 それは「邪馬台国」ではなかった
第2章 いわゆる「共同改訂」批判
第3章 身勝手な「各個改訂」への反論
第4章 邪馬壱国の探求
第5章 「邪馬壱国」の意味するもの
第6章 新しい課題

古田氏の著作には,
最初の問題提起から始まって,探求をし,
最後に次の課題を示して終わる形が多いが,
この本もそうなっている。
読者を惹きつけて止まない魅力が
ここにあると思う。

板倉聖宣氏の提唱した仮説実験授業を
支持する私にとって,
古田氏の著作の仮説・論証的なありようは
大変似ていると思う。
(したがって,このご両人のファンを
自認する人も少なからずいる)

なお,よく「邪馬台国」を括弧をつけないで
『邪馬台国はなかった』のように書く人がいるが,
それは間違いで括弧付きが正しいのである。

もし興味がわいた方があったら,
私は古田氏が出演しているテレビ番組を
収録したものを持っているので
ご一報いただきたい。
まず映像でつかんでいただいてから
本を読んだ方がずっと近道だと思うので。
もっとも古田氏自身は,この本の方法について,
「小・中学生に対してでさえも説得力を持ち,
ハッキリと理解されるものでなければならない」
と書いてはいるのだが・・・。

明日は,『失われた九州王朝』について書きます。
(2/11)

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

 こんにちは。いつもブログを楽しく拝見しております。
 肥沼さんが古代史に引きずり込まれたのはこの本がきっかけだったのですか。僕の場合は、これ以前に高松塚古墳が発見されて壁画が出現し、被葬者を巡って渡来人うんぬんの論争が起こったことが古代史に入るきっかけでした。この影響で、卒論は「古代日朝関係史研究史上の諸問題」となりました。
 この『「邪馬台国」はなかった』を読んだのは大学在学中と思っていましたが、奥付けを見ると1973年2月の第10冊でしたので、卒論を出し終わった大学卒業直前か直後のこと。でも始めてこれを読んで、その論証の緻密さに感嘆したものでした。もっとも古代史研究者を意識しすぎたためか、ちょっとくど過ぎて読みにくいですが。そして読んだあと、岩波文庫版の魏志倭人伝を買って来て古田氏の論証を辿って検証し、これは間違いないと確信しました。
 僕にとって学会の定説を頭から信じないということの大切さ、自分で考えてきちんと史料に当たることの大切さを教えてくれたのが、高松塚古墳と古田氏のこの本でした。

川瀬さんへ

いつもブログを見ていただき,ありがとうございます。
また今回はコメントありがとうございました。
川瀬さんは高松塚古墳がきっかけですか。私はモノとしては銅鐸です。大場弘道著『銅鐸の謎』光文社刊という本でした。学生時代けっこう上野の表慶館には通いました。
力足らずですが,10回ほど古田本について連載してみたいと思います。ご笑覧いただければ幸いです。
また,下山さんによる川瀬さんのご著書の書評が,3月に「多元」78号に出るそうなので楽しみにお待ち下さい。
(川瀬健一著『徹底検証「新しい歴史教科書」』同時代社刊)

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