« 入間ボール杯バレーボール大会 | トップページ | ハンガーマップをめぐって »

2007年2月14日 (水)

私にとっての「古代は輝いていたシリーズ」

法隆寺には何回も行ったことがある。
仏像への興味から赤門塾の仲間とともに,
高校時代より今まで何度も行った。

建築物の素晴らしさは言うまでもないが,
金堂の諸仏,五重塔の塑像群が
私たちを魅了して止まなかった。

しかし,10年数年前に古田武彦氏の
『法隆寺の中の九州王朝』を読んでからは,
美術的興味より歴史的興味の方がまさって,
中宮寺,法輪寺,法起寺といった
法隆寺周辺の寺々も
今までとは違った観察の対象となった。

古田氏の史料批判は釈迦三尊像や
薬師三尊像という仏像の
光背銘にまで及んでいた。
特に釈迦三尊像の光背銘の分析には驚いた。
その中には当然載っているはずの
近畿天皇家の人間関係が
少しも出てこないのである。
(そしてそこには九州王朝の人間関係が!)

また,古田氏の研究を受けて
建築家の米田良三氏が立ち上がった。
(『法隆寺は移築された』)
何と九州・太宰府の観世音寺を移築して
法隆寺を建てたというのである。
(そんなことってアリなのか!?)

まだそれが真実なのか確定はできないが,
7世紀後半の九州王朝の滅亡にともなって
九州から多くの寺や仏像や僧侶が
もたらされたことは,
大いに考えられることだと思う。

なお『法隆寺の中の九州王朝』は,
以下のような構成である。

第1部 律令と年号をもった九州王朝
第2部 仏教渡来の複数ルート
第3部 6,7世紀の東アジアと日本列島
第4部 法隆寺の中の二つの金石文
第5部 白村江の戦と九州王朝の滅亡
第6部 権力の交替と郡評制度

明日も「古代は輝いていたシリーズ」から
話題をひろって書いてみます。
(2/14)

« 入間ボール杯バレーボール大会 | トップページ | ハンガーマップをめぐって »

古田史学」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 入間ボール杯バレーボール大会 | トップページ | ハンガーマップをめぐって »

2017年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  

最近のトラックバック

無料ブログはココログ