2018年10月22日 (月)

北秋津の発掘現場 10/22

郷土研の印刷日を途中でドロンして(笑),
北秋津の発掘現場へと向かった。
本日は,ドローンによる写真撮影があるのだ。

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~本日の感想~

(1) 発掘しているSさんや担当者のAさんとお話しできたこともうれしかったが,
新たにご一緒したKさんは大学に入って歴史の勉強をしてきたというすごい方(70歳には見えない!)で,
古田武彦氏の本も読んでいらっしゃるというオマケ付き。今後が楽しみである。
昨日持っていた何枚かの資料をさっそくお渡しして,「夢ブログ」を見て下さるようお願いした。
カメラを持ってこなかったのを残念がっておられたが,掲載のものでよろしければコピーして下さい。

(2) ドローンの操作をする方といろいろお話できたことも良かった。
本日のは小型のやつで,値段は13万円ほどとのこと。
前回の上安松の時のやつはもっと大型だったので,数十万円するのだろう。

(3) 本日は臨時の方も多数いて,にぎやかだった。発掘と研究は切っても切れない関係だと思う。
私たちは皆さんの発掘のおかげで,研究できる。ぜひ研究成果でお礼したいと思う。


印刷日 10/22

本日は,月曜日にも関わらず,郷土研の印刷日だった。
私が到着した午前11時にはもうだいたいの方が来ていて,
印刷・紙折り・綴じ込みをやっていた。
本日は,「10月号」と「文化祭資料」を作った。

私は午後2時過ぎまで頑張ったが,
ドローンによる遺跡の撮影が2時半だと聞いていたので,
2時過ぎにふれあいセンターを後にした。bicycle

「東偏」は,殷・周に遡る(のかも)

秦の都の方位を調べたら,ほぼ正方位のようだ。
前漢の都の方位も同様だ。
もう,こうなったらさらに古い時代に進むしかない!

と思って,前に自分で殷や周のことを書いたことがあるのを思い出した。


「「歴史の発達段階」とともに変わる都づくり(おもいつき)」

http://koesan21.cocolog-nifty.com/dream/2018/09/post-51a6.html

この殷の図の中で,庶民の住むスペースは東偏である。
周の場合,ちょっとはっきりしないが,「なんとなく東偏」のようだ。
(宮殿の付近だけ「正方位」か)
そこに「使人自ら大夫と称す」の人々が行ったとしたら,
彼らが目にしたのは「東偏の街並み」であったのではないだろうか。

三国志・魏志倭人伝には,「古より以来,其の使中国に詣るや,皆自ら大夫と称す」とあり,
後漢書・倭伝には,「建武中元二年,倭奴国,奉貢蝶がす。使人自ら大夫と称す」とある。
これは,夏・殷・周の古制とされている「卿・大夫・士」にならったものだそうだ。
(古田武彦著『失われた九州王朝』(ミネルヴァ書房)P33)

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ウィキペディア「後漢」

思想[編集]

前漢中期から儒教の勢力が強くなり、国教の地位を確保していたが、
光武帝は王莽のような簒奪者を再び出さないために更に儒教の力を強めようとした。
郷挙里選の科目の中でも孝廉(こうれん、親孝行で廉直な人物のこと)を特に重視した。
また前漢に倣って洛陽に太学(現在で言えば大学)を設立し、五経博士を置いて学生達に儒教を教授させた。
孔子の故郷である曲阜で孔子を盛大に祀って、孔子の祭祀は国家事業とした。
また民間にも儒教を浸透させるために親孝行を為した民衆を称揚したりした。
また法制上でも子が親を告発した場合は告発は受け入れられなかったり、
親を殺された場合は敵討ちで相手を殺しても無罪になったりしていた。
これらの政策の結果、官僚・民間ほぼ全てにわたって儒教の優位性が確立されることになる。

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大雑把な「都の方位」の年表

殷・・・東偏
周・・・東偏

秦・・・正方位?
前漢・・・正方位?
新・・・?
後漢・・・東偏

三国時代・・・魏は?

南北朝(南朝は東偏)

隋・・・正方位
唐・・・正方位

以降,正方位

東村山郷土研究会の出版物(一部)

東村山郷土研究会の出版物(一部)を紹介しよう。

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一番の成果と思われるのが,中央のB5判の水色の冊子で,
『東村山の地名とそのいわれ』である。
付録として,先日紹介した二枚の地図も付いている。
「旧東村山村の大字・小字」と「東村山の小さな地名」である。
この付録だけでも,大変役立つ。(各々1枚300円。残部あり)

そのほかの3冊は,10年ごとに作られる冊子で,
もう4冊ということは,40年以上の歴史を誇るということだ。
そして,あと数年後に「5」が発行されるという。

その時,もし私が郷土研に所属していれば,
「古代日本ハイウェーは,東村山も通っていた!」とか,
「東村山に残る「東偏」の名残り」などが収録されるかもしれない。
50周年記念号であるから,そのぐらいの懐の深さがあってもよかろう。
乞う御期待!(o^-^o)

2018年10月21日 (日)

新々アパートの建設 10/21

昨日は,作業はお休みだったのだが,
「ちょっとだけやらして下さい」という大工さんが1人だけ来た。
やはり「納得のいく仕事をしたい」という職人気質なのだろうか。

空は雲一つなく晴れ渡り,新々アパートと青空で1枚撮った。
右隅に写っているのが,昨年からスタートしている新アパート。

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息子の手料理 10/21

今日も,おでんを作った。

簡単にできて,美味しくて,鍋1つでOK。
とても魅力的な料理である。
今回の工夫は,その下ごしらえ。

(1) 大根を電子レンジにかけて,柔らかくなるまで茹できった。
(2) それと並行して,ゆで卵を4つ作った。
(3) (1)(2)に加えて,こんにゃくに熱を通した。

これだけやっておくと,あとは鍋に入れていくだけだ。
おでんの具自体は塩味が付いているので,
それ以外の材料ができてからでいい。

今帰ってきてから鍋をのぞいたら,
さっそく昼飯で母は食べたようだ。

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吉武高木遺跡の魅力を紹介した「やよいの風公園」サイト

吉武高木遺跡の発掘が進み,いろいろなことがわかってきました。
その内容と魅力を紹介した「弥生の風公園」のサイトを紹介します。

考古学に興味のある人もない人も,一度訪問してみてはいかがでしょうか?
私はとても楽しめました。

やよいの風公園

http://bunkazai.city.fukuoka.lg.jp/yoshitaketakagi/know/chapter04-01.html

吉武高木遺跡の王墓や建物は「東偏」ではないか

川瀬さんのコメントに刺激を受けて,
吉武高木遺跡を調べてみた。
すると,興味深い内容が…。

なんと,王墓や建物の向きが北東を向いているというのだ。
つまりこれは「東偏」ということではないか。

特別な埋葬のルール

http://bunkazai.city.fukuoka.lg.jp/yoshitaketakagi/know/chapter01-04.html

倭の五王をさらに超え,卑弥呼も超えて,
最古の三種の神器の王たちまで遡るのかも。
そういえば,吉武高木遺跡には神殿があったという話も聞いたことがある。
さらに調べてみよう。



吉武遺跡群の掘立柱建物の方位など
(報告書のP76)

https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/20533

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(こういう図がP76に載っていました)

なんとなく,樋渡遺跡の「古墳(墳丘墓)」も「東偏」に思えてきた。
「夏至の方位」という考えもあるようです。(あるブログより)

※ 後漢・・・23~220年

退職の翌年は大変

「退職の翌年は大変だよ。住民税と国民健康保険税があるから」
とは聞いていたが,さすがに厳しいものだ。

現在の収入の有無にかかわらず,
「前年度」に対してかかるから辛い。
(市役所の人に聞いたら,来年度は10分の1になるという。
ということは,今10倍納めている訳だ)

一方,今建設中の「新々アパート」にも新たな課税査察が入ってきた。
税務署の人は,「ここからいくら取れるか」を,建設中から考えているらしい。
先日若い人とベテランの人がチームを組んで,
アパートの前で地図を見ながら話しているのを見た。
せめて,アパートが完成してからしてほしいなあ。(。>0<。)

大阪府の寺院 10/21

(1) 新堂廃寺・・・変遷図を載せてもらえると,とても助かります。四天王寺式の「東偏」かな?

Photo

(2) 龍泉寺・・・方位がすごいところに書いてある。正方位と西偏かな。

Photo_2

(3) 高宮廃寺・・・ちょっと微妙な方位ですが,薬師寺式の東偏か。。

Photo_3


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