2018年4月27日 (金)

「古代瓦の変遷と飛鳥寺院の研究」(服部さん)のアップについて

ようやく上記の服部さんの論文(要約)をアップしました。
アップしたというより,アップアップという感じで,申し訳ないのですが,
少しでも早く内容をお伝えしたいと思いアップします。
従来の瓦の考え方を大きく変える破壊力を持っていると思います。
また,これで多元的「国分寺」研究が加速すると考えます。
と思いますので,ぜひリンクから入ってご一読下さい。
また,もっときれいなもの(私の技術力の無さから,けっこう不体裁になってしまいました)を
読みたいという方は,コメント欄に住所・氏名を書いて下さい。
実費で原版のコピーを送らせていただく所存です。(肥沼)

多元的「国分寺」研究サークルの
「古代瓦の変遷と飛鳥寺院の研究」(服部さん)

http://koesan21.cocolog-nifty.com/kokubunji/2018/04/post-b391.html

6月に旧アパートを撤去する!?

新々アパートを作るため居住者の引越しは
5月と聞いていたので「来年の5月」だと油断していたら,
「今年の5月」のことだった。
ということは,家主(の家族)であり,居住者でもある私も,
母屋への引越しを迫られることになる。
来月って,あとひと月だよ。w(゚o゚)w

学校から持ち帰った荷物は,そのまま開けないで
母屋へ持って行った方が良さそうだ。
また,大量の本を持ち込むとすれば板の間の部屋しかないので,
2階の西側の部屋を利用するしかない。

などなど,アパート建設についての私と建設会社のイメージが,
かなり違っていたことに気が付いた昨日であった。
「実は私もあと30日で引越し」ということは,昨日まで気が付かなかった。(^-^;

郷土研究会の「研究発表」の準備

昨日の午後は,上記の作業をした。
5月の下旬に「文化祭」みたいなものがあって,
それに向けての準備ということらしい。
その割には,「うちに持って帰ってやって下さい」みたいなところもあって,
せっかく時間があるなら,今やってしまおうという雰囲気を醸成し,
そこにいるみんなで頑張ったら,1時間半ほどであらかたできてしまった。
あとは指示のシールを貼って,それが何と呼ばれる道かを示すのだが,
それは資料数が一律でないので,地域ごとにやり方を変えた方がいいと思った。
リーダーのKさんは,みなさんで統一してとおっしゃっていたが…。

なお,資料として模造紙(2枚分×5組)に貼った調査の内容は,
この5年ほどの間に会長さんが自ら歩いて調べられた労作である。

大嘗祭と伊勢神宮の「遷宮」の類似点

大嘗祭と伊勢神宮の「遷宮」には,類似点がある。
両方とも,天武の時に不完全な形を取っていたのが,
持統に至って完全な形になるということだ。

大嘗祭・・・主催者不明で,天武は褒美をあげる役 → 主催・褒美とも持統が行う

伊勢神宮の「遷宮」・・・主催者不明。天武の時に「20年に1度と決める」 → 第1回「遷宮」を持統が行う

私は,以前から大嘗祭も伊勢神宮の「遷宮」も,九州王朝によって行われてきたと思っている。
それは,九州王朝が中国から正式に主権国として認められ,
倭国という名称で中国正史に書かれているからだ。
ところが,662年か663年に白村江の戦いが唐・新羅との間に起こり,
九州王朝は敗戦+その後の筑紫大地震で大打撃をうけ,滅亡していったのだと思う。

それに代わって日本のかじ取り任せられたのが「旧唐書」で日本国と呼ばれる大和王朝。
おそらく戦争と被災のために財政破綻をしたきた九州王朝には,
大嘗祭で褒美をあげる力も,伊勢神宮の「遷宮」を行う力も持っていなかったのではあるまいか。
それが「天武の不完全型」+「持統の完全型」となって,大嘗祭と伊勢神宮の「遷宮」遷宮に
似た形として表れているのだと思う。
そして,「分家」の作った日本書紀に,「本家」である九州王朝の名前(倭国)は存在しなかった。
なぜか,それは大和王朝こそ,昔からこの国を治めてきた「本家」であるという主張の書だからだ。

2018年4月26日 (木)

肥さん関連サイトの「交通整理」

いろいろあって頭を冷やす必要を感じ,
「しばらく古代史の話題は自分のファイルに書き込みます」などと
余計なことを言ってしまいましたが,
多元的古代の研究は明るい未来のために欠くべからざる研究だと思うので,
恥を承知で再開します。
しかし,川瀬さんのアドバイスもあるので,
少々「交通整理」をしたいと思います。

☆ 「肥さんの夢ブログ」~基本的にはいろいろな話題が登場する。
退職したために「学校」「授業」「部活動」の話題が激減し,
それにたいして古代史の話題が多くなり,川瀬さんの研究時間も削ってしまったが,
これからは「古代史研究」も含め,「息子の手料理」「旅行の記録」「アパート経営」などについて,
多彩に書いていきたいと思います。
かなりのコメントが行きかった「伊勢神宮の九州王朝創設」については,
「古田史学の継承のために」に引越しし,議論の続きをそこでしたいと思います。

☆ 「古田史学の継承のために」~上記のことから,「伊勢神宮の九州王朝創設」について
こちらのサイトで続きを行い,深化させたいと思います。どうぞよろしく。

☆ 多元的「国分寺」研究サークル~服部さんの画期的研究に元気をいただいて,
さっそくアップ作業を始めているのですが,字は出ても絵がなかなかうまくいかず悪戦苦闘中です。
しかし,かならずやアップ思っていますので,辛抱強くお待ちください。
新たに何人かの方から,コメントが入っています。反応可能な方は,よろしくお願いいたします。

祝 126万アクセス達成!

昨日の午前中に126万アクセス達成です!
読者の皆様,ありがとうございます。

前回の125万アクセスは,4月6日でした。
20日間で10000アクセスということになります。
(1日500。ただし,これは総アクセス数で,実質アクセス数は約150です。
だいたい毎日4クラスの生徒の数と同じくらいの皆さんに読んでいただいています)

息子の手料理 4/25

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「スペシャル肉豆腐」・・・すき焼きの応用で

「初めての筑前煮」・・・ごま油が必要だった。あと,彩りとして黄緑色のサヤエンドウとかも・・・

古田さんの『伊勢神宮の向こう側』への寄稿

室伏志畔著『伊勢神宮の向こう側』(三一書房)という本がある。

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古田さんが文章を寄せている。「思想と文体」という題だ。
伊勢神宮に関する部分を引用する。

「文明は文体を生み,思想は文体をともなう。わたしは本書に接してこの言葉をつぶやいた。
わが国も,深き文体を生み出す,その世紀の入口に立つに至ったようである。
本書の主題をなす,伊勢神宮。それはわたしにとっても,永年の懸案だった。
そのポイントは次の点にあった。「なぜ,内宮と外宮の二宮があるのか。」この一点である。

その回答の鍵は,「元伊勢」の名のある籠(この)神社(京都府,舞鶴湾)にあった。
豊受大神を祭る,その奥宮には陰陽石が鎮座していた。
すなわち,万物生殖繁栄の徴だ。旧石器・縄文の御神体である。

伊勢には,双見ヶ浦。双見は「両神(ふたがみ)」,海洋民の陰陽神だ。
これを“地上の神社”化したもの,それが「内宮と外宮」の伊勢神宮だったのではないか。
伊勢周辺の各社に祭神とされる「豊宇気毘売神」この女神と登由宇気神(大神)の両神,
それが本来の祭神だったのであろう。これがわたしの帰結点であった。」

「「伊勢の二十年式年祭」がたとえ,「天武・持統の制定」にもとづくものであったとしても,
これが独創だったか,それとも「模倣」か,それが問題なのである。」

『伊勢神宮の向こう側』が出版されたのは,20年以上前の1997年のことである。
その時点で古田さんはもう,伊勢大社の式年遷宮が独創か「模倣」かを問題にされていたのか・・・。

2018年4月25日 (水)

『遷宮をめぐる歴史~全六十二回の伊勢神宮式年遷宮を語る』

茂木貞純・前田孝和共著,明成社,
1200円+税の上記の本が届いた。
本当に690年から20年ごとにやっていたのか,
それはどんなことがあった頃なのかを確認するためである。

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回 西暦   天皇      主な出来事

① 690年 持統天皇   701年,大宝(初めての大和年号)を建元

➁ 709年 元明天皇   710年,平城京遷都。712年,古事記の編纂。720年,日本書紀の編纂

➂ 729年 聖武天皇   723年,三世一身法,

④ 747年 聖武天皇   741年,「国分寺建立の詔」。743年,墾田永年私財法。752年,大仏の開眼供養

⑤ 766年 称徳天皇  

⑥ 785年 桓武天皇   

 ※ 791年,盗難・火災で焼失 794年,平安京遷都。804年,『皇大神宮儀式帳』『止由気宮儀式帳』の提出

⑦ 810年 嵯峨天皇   

⑧ 829年 淳和天皇    

⑨ 849年 仁明天皇

⑩ 868年 清和天皇   

・……………………………………・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

天皇の代替わりの行事である大嘗祭は,天武の段階では不完全な「褒美だけ」で,
持統に至って主催+褒美の完全型である。式年遷宮も,同じだ(天武の不完全型ー持統の完全型)。
私が「誰が始めたのかはっきりしないが,途中で大和王朝が関わってきたら,
これはもしかしたら九州王朝が始めたかもしれないぞ疑ってみるべきである」テーゼを参照のこと。

また,「続日本紀」で7世紀末から8世紀初頭にかけて続日本紀では,
「はじめて〇〇した」という記事が多いが,あれは「日本列島でやった」という意味ではなく,
「大和王朝では初めてやった」という意味のようである。

トコテラス

所沢駅の雑踏の階上に,トコテラスと呼ばれる空間がある。
いわば多目的スペースの一種なのだが,
テーブルと椅子がほどよく配置されていて,
大勢で騒ぐようなこともなく,
数十分~1時間くらいの時間を静かに過ごすことができる。

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私も時々ここを利用して,本を読んだりパソコンを叩いたりしている。
昨日は「まんまる」と「房ya」の帰りで,
仮説の会の扇野さんのガリ本『LIFE・8』を読んだ。(写真中央の赤い本)
毎年出されるこのガリ本は,とても人気のあるもので,
ガリ本リストに名前が上がったら,即注文する必要がある。
仮説実験授業を中心とした「オギ・ワールド」で,
爆笑とうれし涙を誘われること必至だ。(o^-^o)

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